『列仙全伝』:研究(一) | |
第二節 『消揺墟経』と『仙佛奇踪(蹤)』について《7p》 | |
2-1 『消揺墟経』の正体 |
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先にも述べたように『列仙全伝』とは異なり、『消揺墟経』は「続道蔵」にも収められており、陳国符氏の『道蔵源流攷』を初めとしたいくつかの事典類にも解説が見られる。そのような中から、ここでは『道蔵提要』の解説を紹介し、検討を加えることにしよう。(注23) 1452 消搖墟經 二巻 洪自誠撰 (1081冊 續道藏 槐) 白雲霽『道藏目録詳註』作《消搖墟》二巻。本經係神仙傳記。載老君至張三■(三に1)等逍遙物外之神仙人物六十三人、略記其玄言軼事、多摘録神仙傳記爲之。其書蓋取《荘子》「消遙遊」之旨意、故名『消搖墟經』。篇首序稱、「洪生自誠氏、新都(四川新都)弟子也、一日携『仙記』一編、微言於予」。(卷一、頁一)所云『仙記』即『消搖墟』。可知此書作者當即洪自誠。所収神仙迄於張三■(三に1)、殆爲明初之作。 (白雲霽『道藏目録詳註』は『消搖墟』二巻に作る。本經は神仙の傳記に係かる。老君より張三■(三に1)等に至るまで逍遙物外の神仙人物六十三人を載す、略ぼ其の玄言軼事を記し、多く神仙の傳記より摘録して之を爲す。其の書は蓋し『荘子』の「消遙遊」の旨意を取り、故に『消搖墟經』と名づく。篇首の序に稱すらく、「洪生自誠氏は、新都(四川新都)の弟子なり、一日『仙記』一編を携え、言を予に微す」と。(巻一、頁一)云う所の『仙記』は即ち『消搖墟』なり。此の書の作者は當に即ち洪自誠なるを知る可し。収むる所の神仙は張三(三に1)迄でなれば、殆んど明初の作爲り。)まず(1)『消揺墟経』という書名は『荘子』の「逍遥遊」から取られ、六十三人の神仙人物の伝記が収められている。(2)撰者は、その序から洪自誠とする。ちなみにこの序文について『道蔵源流攷』は「某氏序」として作者不詳としている。三点目としては、収録されている人物(張三■【三に1】まで)から考えて明初の作であろうとしている。(『道蔵源流攷』も「蓋明人撰述」としている。)以上の三点が『道蔵提要』の解説の柱であるが、いずれも少しく問題を含んでいる。第一に、『消揺墟経』という書名ないしは書物についてである。「続道蔵」では『消搖墟経』と題されてはいるが、序文中には「消搖墟」としか記されていない。わずか一文字のことではあるが、これは重要な問題をはらんでいる。というのは、『消搖墟経』とまったく同内容で「続道蔵」の編纂に先行して成立したと思われる『仙佛奇蹤(踪)』という書が存在するのである。「続道蔵」の編纂が万暦三十五(一六〇七)年であるのに対し、『仙佛奇蹤(踪)』は万暦壬寅(万暦三十年・一六〇二年)の年記を持つ。この『仙佛奇蹤(踪)』という書は、仙家と仏家の主要な人物の伝記をあわせて収録するもので、その仏家の部分は『寂光境』と名づけられ、仙家の部分が「消搖墟」と名づけられている。とするなら「続道蔵」に収載されている『消搖墟経』とは、実は『仙佛奇蹤(踪)』の一篇の名称にしか過ぎず、「続道蔵」ではその一編だけを抜き出して『消搖墟経』と名づけたものであろう。この推測に対するもうひとつの裏づけとなるのは、『仙佛奇蹤(踪)』で「消搖墟」の後に附された「長生詮」と、仏家の伝である「寂光境」の後に附された「無生訣」の二編の文章が「続道蔵」に、しかも『消搖墟経』のすぐ後に収載されているのである。(注24) 仮にこのように『仙佛奇踪(蹤)』から仙伝の部分だけを収載したものが実は『消揺墟経』の正体であったのだとすると、当然絵像の部分は省略されているということになるが、続道蔵に収載される際に絵像が省略されると言うのは、『消揺墟経』に限ったことではなく、『捜神記』等にも同様の例が見られる さて「長生詮」と「無生訣」この二編についてであるが、『道蔵提要』には次のような解説が見られる。(注25) 1453長生詮經 一卷 (1082冊 續道藏 槐)いずれもその内容については記されているが、『消搖墟経』との関係や撰者に関しては一切触れられていない。しかし、これも明らかに『仙佛奇踪(蹤)』から抜き出されたものに間違いはなく、とするなら撰者は『消搖墟経』の撰者と同一なはずである。(撰者については後述) この「長生詮」「無生訣」について、その内容などにまで触れる余裕はないが、後に挙げる道蔵精華所収の『仙佛奇蹤』に付された例言に見える解説を挙げておこう。 一、二 後出(■頁参照)また参考までに今井宇三郎氏は、この両者について次のように述べている。 消揺墟経に付けられた長生詮は、洪応明の道教につ いての修学の傾向を示すものといってよい。即ちそれは、陰符・洞眞の道蔵諸經と参同契・悟眞篇等、所謂金丹道の諸経典を学び、金丹の大葉精要を抄集してなったものである。道教の中でも一切の男女黄白の説は屏去し、専ら静虚無為な要説だけを集めたものであるという。 (注26)繰り返しになるが、「続道蔵」に収載される『消搖墟』は『仙佛奇蹤(踪)』中の一編であるであると断じて良いであろう。とするなら先ほど引用した『道蔵提要』に存在する三つ目の問題点、「その成立は明初であろう」という推定は、万暦三十(一六〇二)年と明確になる。残された二つ目の問題、選者およびその根拠となる序に関する問題は、『仙佛奇蹤(踪)』の伝本について整理してからあらためて述べることとしたい。 [注釈] 第二章 2ー1 注23 任継愈他編『道蔵提要』中国社会科学出版社、一九九一年 注24 「続道蔵」に収載されたものには絵像がないが、台湾学生書局「中国民間信仰資料彙編」第一輯四に所収の『神刻出像増補捜神記大全』には絵像が附されている。 注25 注23に同じ。 注26 今井宇三郎「菜根譚の成書時期について」大東文化大学漢学会誌第十四号 昭和五十年 注27 酒井忠夫・今井宇三郎「菜根譚の著者について」『山崎先生退官記念東洋史学論集』一九六七年五百三十二頁 |
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