『列仙全伝』:研究(一) |
第二節 『消揺墟経』と『仙佛奇踪(蹤)』について《8p》 |
2-2 四庫本『仙佛奇蹤』について |
『仙佛奇蹤(踪)』にもいくつかの伝本が存在するが、筆者の用いたものは次の四種である。 (A)四庫全書存目叢書所収 仙佛奇踪八卷 明・洪應明撰(以下「四庫本」と略称) 復旦大學圖書館明萬暦刻本 附《四庫全書總目・仙佛奇踪四卷》提要 (B)道藏精華題五集之四所収 明・洪自誠著 文山遯叟選刊 洪氏仙佛記蹤 月旦堂刻版陶氏重印本(以下「道蔵精華本」と略称) (C)中国民間信仰資料彙編第一輯八册所収 月旦堂本仙佛奇蹤合刻(以下「月旦堂本」と略称) (D)大谷大学図書館蔵 列仙傳 四巻三冊(第一巻缺) 所蔵番号 外大二三五〇 このうち(A)の四庫本『仙佛奇蹤』は八巻よりなり、最初に「消揺墟目」という目録があり、次に巻一より巻三まで「消揺墟」と題した仙人の伝記が続き、さらに「長生詮小引」「長生詮」本文が置かれる。この「長生詮小引」の末尾に「萬暦壬寅季冬朔」と成書年次が記入されている。次に「寂光境目」が置かれ、次いで巻一より巻三まで仏伝が記される。そして最後は「無生訣」一巻で終わっている。 ちなみに筆者は未見であるが、この四庫本とほぼ同様なものがわが国の内閣文庫にも所蔵されている。(以下「内閣文庫本」と略称)この内閣本は目録によれば「寂光境三巻・消揺墟三巻(巻二缺)・長生詮一巻・無生訣一巻」である。四庫本と構成順は多少異なるが、その内容は全く同一であることが今井宇三郎氏により報告されている。(注28)ただ今井氏は四庫全書存目叢書に収める四庫本は御覧になっていないようであるので、以下今井氏の報告による内閣文庫本と四庫本との相違点を整理しておこう。 まず今井氏も元にした四庫全書総目提要に目を通しておこう。 仙佛奇踪四卷 内府藏本 明・洪應明撰、應明字自誠、號還初道人、其里貫未詳、是編成於萬暦壬寅、前二卷記仙事、後二卷記佛事、首載老子至張三■(三に1)六十三人、名曰消揺墟、末坿長生詮一卷、次載西竺佛祖、自釋迦牟尼至般若多羅十九人、中華佛祖自菩提達摩至船子和尚四十二人、(名)曰寂光境、末坿無生訣一卷、仙佛皆有繪像、殆如兒戯、考釋道自古分門、其著録之書、亦各分部、此編兼釆二氏、不可偏屬、以多荒怪之談、姑附之小説家焉、 (明・洪應明撰。應明字は自誠。還初道人と號す。其の里貫は未だ詳びらかにせず。是の編は萬暦壬寅(三〇年・一六〇二年)に成る。前二卷は仙事を記し、後二卷は佛事を記す。首は老子より張三■(三に1)に至るまで六十三人を載せ、名づけて消揺墟と曰う。末には長生詮一卷を坿す。次には西竺の佛祖。釋迦牟尼自り般若多羅に至るまで十九人。中華の佛祖は菩提達摩自り船子和尚に至るまで四十二人を載せ、名づけて寂光境と曰う。末には無生訣一卷を坿す。仙佛は皆繪像有るも、殆ど兒戯の如し。釋道を考うるには古自り門を分かつ。其の著録の書も、亦た各々部を分かつ。此の編二氏を兼ね釆り、偏屬す可からずして、以て荒怪の談多し。姑 らく之を小説家に附す。)今井氏はこの提要にある「四巻」という記載に対し、内閣文庫蔵本が「八巻」であることに着目し、次のように述べる。 これは「寂光境」と「消揺墟」を三巻とするがためである。……その目にも三巻に分巻した跡はない。按ずるに簡帙重大の故を以て、太和館刊本が三冊に分冊して刊行したもので、その三分冊によって内閣文庫目録に三巻と記したもので本来は一巻である。この点は「消揺墟」も全く同様で、これは中華に限られその目も列仙姓氏として一括し、本来、一巻のものであることを明瞭に示している。(本文は旧字体)一方四庫本をみると、内閣文庫蔵本に同じく八巻ではあるが、「寂光境」と「消揺墟」の目録を見ると、それぞれに分巻の印、たとえば「消揺墟目」の先頭である老子の下には小文字で巻一、張道陵の下には巻二、司馬真人の下には巻三と書き込まれている。「寂光境」も同様である。四庫本が基づいたのは復旦大學圖書館に所蔵される明の萬暦刻本であることから考えても、或いは非常に初期の段階で四巻本とは別の八巻本も存在したものと思われる。 次に構成の順序であるが、四庫本の構成は前にも述べたように「消揺墟」「長生詮」「寂光境」「無生訣」という提要の記載と同じであるので、内閣文庫本のような構成は、今井氏の述べるように「簡帙重大の次序によるもの」なのかもしれない。内閣文庫蔵本のより詳細な構成について、今井氏は次のように述べる。 「消揺墟」一巻には「了凡道人袁黄題」の引を冠し、その目に「還初道人自誠甫次」として、老子より張三■(三に1)に至る六十三人の名を挙げ、以下、各人の絵像を掲げて後、それぞれの略伝を述べている。このうち袁黄の引(次に挙げる「道蔵精華本」にある仙引と同様のものであろう。)は四庫本にはない。またこれは重大な相違なのであるが、目録には「老子より張三■(三に1)に至る六十三人の名を挙げ、以下、各人の絵像を掲げて後、それぞれの略伝を述べている。」と書いておられるが、四庫本では目録および伝記本文ともに五十八名しか立伝されていない。(ただし、四庫本は十三葉がもともと欠落しているので伝記本文は五十七名である。)この人数の相違について、以下に簡単な表にしてみた。 目録人数 伝記本文 続道蔵本 六十三人 六十三人 内閣文庫本 六十三人 六十三人(?)*今井氏による 四庫本 五十八人 五十七人 道蔵精華本・月旦堂本 五十五人 五十五人 四庫全書総目提要 六十三人 道蔵精華本・月旦堂本解説 四十六人 続道蔵本も提要と同じく六十三名が立伝されており、四庫本では五名が欠落していることとなる。その五名とは、黄安・劉海蟾・浮丘伯・太山老父・張三■(三に1)の各人である。また以下に述べる道蔵精華本・月旦堂本では五十五名が立伝されており、続道蔵本と比較して次の八名が欠落している。(四庫本と比較すると三名が欠落している。) △王子喬・黄安・劉海蟾・浮丘伯・太上老父△麻衣子・△葛仙翁・張三■(三に1) (△が四庫本よりも欠落している人物) また道蔵精華本・月旦堂本では、先にも挙げた四庫全書総目提要を引用した後、次のような短い解説を附している 此本爲月旦堂刻、共八卷、前三卷自老子至魏伯陽四十六人、後三卷、自釋迦牟尼至鶴勅那十七人、自菩提達摩至法明和尚三十七人、與四庫著録本稍異、餘則皆同也 (此の本は月旦堂の刻爲り。共に八卷にして前三卷は老子自り魏伯陽に至るまで四十六人、後の三卷は釋迦牟尼自り鶴勅那に至るまで十七人、菩提達摩自り法明和尚に至るまで三十七人、四庫著録の本と稍や異なる。餘は則ち皆同じきなり。)この解説中、立伝人数に関する数字に疑問が残る。道蔵精華本・月旦堂本には実際には五十五名の伝が存在し、四十六という数字がどうして出てくるのか筆者には未詳である。一方仏家の伝については、この数字の通りではあるのだが、立伝の順序や立伝されている人物について諸本と随分相違がある。しかし仏伝に関しては、今回本論の対象外であるので詳しい校勘等は行っておらず、いずれ稿をあらためて述べることとしたい。 内閣文庫本と四庫本の異同に話を戻すと、仙伝三巻の後内閣文庫本では洪自誠の「長生詮小引」が置かれた、「長生詮」一巻が続く。さらに真実居士馮夢禎の「寂光境引」に続いて「寂光境目」「寂光境」本文三巻が置かれる。ここまでは四庫本も全く同一であるが、最後に附されている「無生訣」の前に、内閣文庫本では「無生訣小引」が冠されているという。しかし四庫本では存在してない。 _____ [注釈] 注28 注26に同じ |
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