中国の図像を読む
 
 
第四節 蓮の花は愛の花《1p》
 
  1、恋愛歌に現れた蓮
 
 蓮の花は中国でよく用いられる吉祥紋の一つである。数ある植物紋の中でも、おそらくはもっとも図像化されることの多い花であろう。ただ、その際には、蓮がそれ単独で描かれるということは少なく、多くの場合他の紋様と組み合わさって表現される。例えば、前節で取り上げた鯉などがその代表的な例である。
 先にも述べたように、ほとんどの日本人は、蓮から仏教的な事物をイメージする。それはまさに、仏陀の座す蓮華座であり、極楽浄土に咲き乱れる清浄なる花のイメージだ。こうした清浄なイメージが付与されるようになった原因は、蓮という花が泥土の内に生ずるにもかかわらず、その花は清らかであるというところからきており、仏典中にもしばしば清浄なるものの譬として用いられる。しかし、蓮は日本や中国でだけもてはやされたわけではなく、遠くエジプトやインダス文明の世界でも人々に愛され、文様化されてきた花なのである。 一図にはそうした古代文明に見られる蓮花文様をあげておいた。(注@

一図
『ものと人間の文化史21 蓮』より

 一方中国では古くから蓮(芙蓉)は女性の象徴であり、詩歌などにも美しい女性の暗喩として、 しばしば歌われてきている。そうした例の一つが前節の鯉のところでも引用した古楽府の一種である。 (第三節の(四)鯉は蓮に恋をする。)その他にも蓮の歌われた詩歌の例をいくつかあげてみよう。

      雜詩九首 其四 
 渉江採芙蓉    江を渉りて芙蓉を採る    枚乗(注A
  渉江採芙蓉    江を渉りて芙蓉を採る
  蘭澤多芳草    蘭澤芳草多し
  採之欲遺誰    之を採りて誰にか遺らんと欲する
  所思在遠道    思う所は遠道に在り

 芙蓉(蓮)の花を摘んで愛する人に遺ろうと思うのだが、その愛する人は遠く離れたところにいる。男性が女性に花を遺るというのは、中国でも古来より繰り返し歌われるテーマだが、人によってはこれらの詩を女性から男性へだと見る人もある。しかし、いずれの場合も花……蓮が、美しき女性を連想させることに変わりはないであろう。
 同趣向の詩をもう一首挙げよう。

    擬古四首     其三   
 採蓮      呉均(注B
  錦帯雜花鈿      錦帯花鈿に雜はる
  羅衣埀緑川      羅衣緑川に埀る
  問子今何去      問ふ子は今何くに去ると
  出採江南蓮      出でて採る江南の蓮を
  遼西三千里      遼西三千里
  欲寄無因縁      寄せんと欲するも因縁無し
  願君早旋返      願はくは君早く旋返して
  及此荷花鮮      此の荷花の鮮かなるに及ばんこと 

  この詩の場合、特に最後の一連……「願はくは君早く旋返して、此の荷花の鮮やかなるに及ばんことを」 (どうかこの花の盛りのうちに早く帰ってきてほしい)という部分の含意するところに思いを致す必要がある。 いうまでもなく蓮の花の鮮やかなうちにというのは、私の若々しい美しさの衰える前に、ということである。 蓮の花の美しさがそのまま女性の美しさを表した典型的な例といえよう。

     美女篇         傳玄(注C)  
  美人一何麗   美人一に何ぞ麗なる  
  顔若芙蓉花   顔は芙蓉の花の若  
  一顧亂人國   一顧すれば人國を亂わし   
  再顧亂人家   再顧すれば人家を亂わす     
  未猶可?何   未だ猶ほ?何ともす可からず 

 この詩では、直接美女のかんばせの美しさを蓮の花にたとえている。
 次に挙げる二つの詩も同様な興趣によるものである。 

    徐尚書坐賦得可憐  徐尚書の坐にて可憐を賦し得たり  王樞(注D)  
  紅蓮苟§I   紅蓮 早露に艪ォ  
  玉貌映朝霞   玉貌 朝霞に映ず 
  飛燕啼妝罷   飛燕 啼妝罷み
  顧挿歩揺花   顧みて歩揺の花を挿しはさむ        
  ……      ……            

    看新婦   新婦を看る  可遜(注E)  
  霧夕蓮出水    霧夕 蓮 水を出で  
  霞朝日照梁    霞朝 日 梁を照らす  
  如何花燭夜    如何ぞ花燭の夜  
  輕扇掩紅妝    輕扇紅妝を掩ふに  
   ……       ……  

 最初の詩では、朝霞の中にたたずむ美女の姿を、朝露の中に開いた紅い蓮に見立てている。 また二つめの詩では、華燭に照らされた花嫁の装いは、朝日に照らされた柱や、夕霧の中の蓮の美しさにも勝ると詠う。 朝霞といい、夕霧といい、そこに描かれた蓮は紅いという色が強調され、美しい女性の紅をさした姿と対比されている。   

    敬酬柳僕射征怨   敬んで柳僕射の征怨に報ゆ  邱遅(注F
  ……      ……  
  雀飛旦近遠     雀飛ぶこと旦に近遠   
  暮入綺窗前     暮には綺窗の前に入る  
  魚戯雖南北     魚戯るるは南北なりと雖も  
  終還荷葉邊     終には荷葉の邊に還らん   
  惟見君行久     惟だ見る君が行の久しきを   
  新年非故年     新年は故年に非ず

 雀も日暮れには窓辺により、あちこち泳ぎ回る魚も最後は蓮の葉の元に返ってくるのに、あなただけはいつになっても私のもとへ帰ってこない、という女性の恋心を詠った作品である。この詩も蓮は女性、魚は男性を象徴するという前節で引いた聞一多氏の説を裏付ける。

    楽府七首  秋蘭篇      傳玄(注G)  
  秋蘭蔭玉池   秋蘭玉池を蔭ひ   
  池水清且芳   池水清く且つ芳し   
  芙蓉随風發   芙蓉は風に随つて發く   
  中有雙鴛鴦   中に雙鴛鴦有り   
  雙魚自踴躍   雙魚自ずから踴躍し   
  兩鳥時廻翔   兩鳥時に廻翔す   
  君其歴九秋   君其れ九秋を歴なば   
  與妾同衣裳   妾と衣裳を同じくせよ  

 この詩では、愛の姿を詠う材料として、蓮の花だけではなく雙魚・鴛鴦等も用いられており、中国の恋愛吉祥物総出演といった感がある。


【注釈】
 @蓮に関する各地の文化的事象については、次の書に詳しい。
   『ものと人間の文化史 二十一 蓮』阪本祐二著 法政大学出版局
 A『玉臺新詠』巻一
 B『玉臺新詠』巻六
 C『傳鶉觚集』
 D『玉臺新詠』巻五
 E『玉臺新詠』巻五
 F『玉臺新詠』巻五
 G『玉臺新詠』巻二

    次頁《2p》へ続く