中国の図像を読む
第三節 魚紋アレコレ。《7p》
  (「三、鯉は龍の子供だった?(鯉魚紋)」のつづき)
(四)鯉は蓮に恋をする。
 一方、中国にはもう一つ別の鯉にまつわる話がある。 それは古楽府にのせる、次のような詩にまつわるものである。
  飲馬長城窟行
客從遠方來、       客遠方より來る、
遣我雙鯉魚、       我雙鯉魚を遣る、
呼兒烹鯉魚、       兒を呼びて鯉魚を烹る、
中有尺素書        中に尺の素書有り
                 (樂府詩集)
 遠方からやってきた客の贈り物である鯉の腹中より手紙が現れたというこの詩が典拠となって、これ以降手紙の異称として 「鯉書・鯉素・尺鯉」という表現が用いられるようになる。
 この詩を背景にした図像の一つに二十図がある。(注9) この図は、大変シンプルであるが趣のある絵ではないだろうか。これは、閔斉?の描いた『西廂記』のさし絵のうちの一点である。 主人公とヒロインの鶯鶯が恋文をやりとりする場面に添えられたものであるが、上空を飛ぶ鳥は足に手紙を結び付けていることから見ても、 いわゆる「雁書」の象徴であり、同時にヒロイン鶯鶯の暗喩でもある。一方水面から顔をのぞかせ必死にヒレをふるわせるかのように雁に 向って語りかけているように見える鯉は、まさしく相手の男性の姿を象徴したものであろう。
二 十 図
閔斉?画 西廂記
『中国の版画 明代から清代まで』より
 この図に見られるように時として鯉は男性自身の象徴ともなるのである。蓮の花が女性を象徴することについては、すでに述べたが、同時に『詩経』の時代から、魚は男性の象徴でもあった。このことについてはすでに聞一多氏が「説魚」という論文に詳細に述べられているが、それをもとにいくつかの詩文の例を挙げながら述べることにしよう。蓮と魚を詠じた代表的な作品の一つに、古楽府の一編がある。
   江南
江南可採蓮、      江南は蓮を採る可し、
蓮葉何田田。      蓮葉何ぞ田田たる。
魚戯蓮葉間、      魚は蓮葉の間に戯れ、
魚戯蓮葉西、      魚は蓮葉の西に戯れ、
魚戯蓮葉南、      魚は蓮葉の南に戯れ、
魚戯蓮葉北、      魚は蓮葉の北に戯る。
この詩の直接的な意は盛んに茂る蓮の葉の間を魚が泳ぎ回る様をリフレーンを用いて表現した単純なものであるが、そこに込められた真意について、聞一多氏は次のように述べる。(注10)
 「蓮」は「鄰」[憐]と同音のかけことばで、これも隠語の一種である。ここでは魚は男を喩え、蓮は女を喩えていて、 魚が蓮に戯れるとは実は男と女が戯れると言うに等しいこと、上文に鄭衆が『左伝』を解した「魚……方羊游戯するは衛侯の淫縱に喩う」 という語を引いたのをその証拠となしうる。
 さらに氏は唐代の女性たちの詩の中にも同様の例が見られるとして次のような例を挙げる。
   寓言詩      魚玄機
芙蓉の葉下に魚は戯れ、
??の天辺に雀声あり、
人世の悲歓は一えに夢にして、
如何にか双成を作すことを得ん
   十離詩の一  魚 池を離る      薜濤
蓮池に戯れ躍ること四五秋、
常に朱き尾を揺りて銀鉤を弄ぶ。
端無くも擺断す芙蓉の朶、
清波の更に一遊せんことを得ず
 これらの例からも明らかなように蓮は女性を、そこに戯れる魚は男性を表象している。さらに古楽府には、次のような詩も載せられている。
   枯魚過河泣
枯魚過河泣、      枯魚 河を過ぎて泣く、
何時悔復及。      何れの時か悔ゆるも復た及ばん。
作書与魴鯉、      書を作りて魴鯉に与え、
相教慎出入。      相い教えて出入に慎ましむ。
 この詩にも「書を作りて魴鯉に与え」というように、手紙と鯉が結びついて出てくる。この詩に詠われた情景は、まさに二十図に挙げた 図像そのものである。
 こうした例は、詩文の世界だけに限られたものではなく、二十一、二十二、二十三図に見られるように陶器などにも、 デザインとして頻繁に用いられている。これらの図像は、一見水面に咲く蓮の花と水中にたわむれる魚という自然の一情景を描いた もののように考えられがちだが、本来はその背景に男女の愛情というより深い意味、象徴が隠されていたのである。  

二 十 一 図
「五彩壷」 高35.4cm 明代
出光美術館蔵
『展開写真による中国の文様』より
 

二 十 二 図
『新北京歳時記』より
 

二 十 三 図
『韓国文様事典』より
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【注釈】
9、『中国の版画 唐代から清代まで』小林宏光著 東信堂
10、『中国神話』聞一多著 中島みどり訳注 東洋文庫所収「説魚」