中国の図像を読む
第二節 鶴は松に巣をつくる?《3p》

 四、松と鶴
 これまでに引いた唐より以前の種種の文獻には、意外なことに鶴に関連して「松」に ふれた記事がまったく見えない。松も鶴と同様にこの頃にはすでに長寿の象徴であり、神仙思想とも強く結びついている。元来常緑樹であり、 冬の間もその緑を失わずにいることから、むしろ不老の寓意が強かったであろうと思われ、仙伝類の多くには、仙人たちが松の実や松脂(松ヤニ) などを常食していたという記事や、またそれによって長寿を得たという話が散見する。そうした例を一、ニ挙げよう。
    『列仙伝』
 
??者、槐山採薬父也。好食松実。形体生毛、長数寸。両目更方。能飛行遂走馬。以松子遺尭。尭不暇服也。松者、簡松也。時人受服者、皆至二三百歳焉。
(??なる者は、槐山に薬を採るの父なり。好んで松実を食らう。形体に毛を生ずること、長さ数寸。両目は更方なり。善く飛行して走馬を遂う。 松子を以て尭に遺る。尭服するに暇あらざるなり。松とは、簡松なり。時人受けて服する者は、皆二三百歳に至る。)
仇生者、不知何所人也。……常食松脂、在尸郷北山上、自作石室。
(仇生なる者は、何れの所の人なるかを知らず。……常に松脂を食らい、尸郷の北山の上に在りて、自ら石室を作る。)
   『藝文類聚』巻八十八 木部上
 
嵩高山記曰、嵩岳有大樹松。或百歳千歳、其精變爲青牛。或爲伏龜。採食其實、得長生。
(嵩高山記に曰う、嵩岳に大樹の松有り。或いは百歳、千歳、其の精變じて青牛と爲る。或いは伏龜と爲る。其の実を採りて食すれば、 長生を得。)
漢武内傳曰、藥松柏之膏。服之可延年。
(漢武内傳に曰く、藥に松柏の膏あり。之を服すれば年を延ばすべし。)
■■(あくせん)
■■(あくせん)図
『列仙全伝』
松子
松子
『三才図会』
 このように六朝期すでに松と鶴は共に神仙と長寿という二つの共通するイメージを 持っており、いつこの二つ……松と鶴が一つに結びつけられてもおかしくない状態にあった。いわば伝統的吉祥物「松に鶴」誕生の素地は十分に 形づくられていたといってもよい。
 しかし、晉の葛洪の『抱朴子』には、次のような記載も見える。(注K)
千歳之鶴、随時而鳴、能登於木。其未千載者、終不集於樹上也。
(千歳の鶴、時に随いて鳴き、能く木に登る。其の未だ千載ならざる者は、終いに樹上に集わず。)
  この『抱朴子』の記事の注意すべき点は、千年の齢を重ねた鶴だけが木に登るのであり、それ以外の通常の鶴たちは樹上には集わないという点である。 更に先にも紹介した『相鶴經』には、
是以行必依洲嶼、止不集林木。
(是を以て行くには必ず洲嶼に依り、止まるに林木に集わず。)
というように(注L)、自然の観察に基づく正確な記述も見られる。いわばこの時代、鶴は決して木に集ったりはしていない。またそれ故、 こうした自然における鶴のイメージが強かった時代には、単に共通する象徴……神仙ないし長寿……からの類推によって松と鶴を結びつけるようなことは、 安易にはなされなかったのであろう。
 このことは詩歌などの文学作品からも確かめることができる。管見の及ぶところ鶴を詠んだ六朝期の詩・賦類には、両者を結びつけたような表現は 存在しない。たとえば『古今図書集成』や『御定歴代賦彙』などには、漢の路喬如の「鶴賦」を筆頭に王粲・曹植(魏)、桓元(晋)、鮑照(宋) などの多くの賦を挙げるが、いずれにも松は見えない。また全漢詩・全三国詩等々の索引によって鶴の詠われている詩作品を検索しても、 松とのつながりを示すような表現は見いだすことはできない。いちいちの作品名を挙げる煩はおかさないが、少なくとも六朝期後半までは鶴はけして 松で羽を休めたりはしていないのである(注M)。
   和竟陵王高松賦    齊・王儉(注N)
 
集集鸞皇之翻飛   鸞皇の翻飛を集わしむ
 
   贈故人馬子喬六首   宋・鮑照(注O)
 
野風振山籟     野風 山籟を振はす
朋鳥夜驚離     朋鳥 夜驚離す
 
   謝承後漢書(注P)
 
方儲字聖明。丹陽人也。除郎中、遭母憂、棄官行禮。負土成墳、種松柏奇樹千餘株。鸞鳥棲其上、白兎游其下。
(方儲字は聖明。丹陽の人。郎中に除せらるるも、母の憂いに遭い、官を棄てて禮を行う。土を負い墳を成し、松柏奇樹、千餘株を植う。 鳥其の上に棲み、白兎其の下に游ぶ。)
  これらの例に見えるように、この時代、松に羽を休めたのは鶴ではなく鳳凰だったのである。この鳳凰と鶴の関係についてもなかなか興味深いものが あるのだが、その詳しい考察は皆さんにお任せしよう。ただ、こんな仮説も成り立つのではないだろうか。龍と同様に霊鳥としての鳳凰の存在も非常に 古い起源を持つ。そこへ遅れて鶴の霊鳥化が起こる。その時、鳳凰が担っていた象徴性のいくぶんかが鶴へと分与される。あるいは、霊鳥という存在が 持つ象徴観念が鳳凰と鶴へ二分化された。その具体的なあらわれの一つが松との結合である。もともと梧桐にやどり、竹の実を喰うといわれる鳳凰は松との 結びつきを弱め、鳥としてよりリアリティーのある鶴へその座を譲り、松との結びつきを強めた鶴はやがて様々な文物に図案かもされ、 人々の間に浸透していった。そんな風にも考えられはしないだろうか。
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【注釈】
K『抱朴子』内篇 對俗巻第三。
L 周・履靖校梓『相鶴經』。
M 一応の検索に用いた書物についてその書名を挙げることとする。
   十三経(詩経・書経・易経・三礼・春秋三伝・論語・孟子・爾雅・孝経)塩鉄論、
   呂氏春秋、賈誼新書、呉越春秋、春秋繁露、孔子家語、説苑、三海経、穆天子伝、
   燕丹子、戦国策、淮南子、東観漢記、古列女伝、尚書大伝、商君書、孫子、尉繚子、
   呉子、司馬法、逸周書、大戴礼、文子、晏子春秋、越絶書、新序、韓詩外伝、抱朴子、
   墨子、荀子、管子、韓非子、老子、荘子、世説新語、
 詩作品に関しては、全漢詩、全三国詩、全晋詩、全宋詩、全齊詩、全陳詩、全隋詩、全北周詩、然北齊詩、
 全北魏詩、文選、玉臺新詠等の索引を用いた。
N『初學記』巻二十八。
O『鮑氏集』巻六。
P『初學記』巻二十八 木部 松第十三