偽鑑先生の作文講座 その四 | |
四、表現技法(修辞法)―比喩表現を楽しもう《6p》 |
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(「四、(余計なこと言わずに)直喩」のつづき) |
「とうの昔に死滅していて、化石以外では見られないはずの生物が現在まで種としての命脈を保っている。」なんて言い方の方が正確で学問的な表現であるはずなのに、そうは言わず「生きた化石」なんて無茶な言い方をする。「これは何故なんだろう。どうしてなんだろう。」と考えてみると、「とうの昔に死滅していて、化石以外では見られないはずの生物が現在まで種としての命脈を保っている。」では不十分で、本当に大切なことは、そのことに「びっくりしたなぁ、もう。」ということなのである。この「生きた化石」という表現は、冷徹な学問的事実を伝えるための言葉ではなく、人々の驚きを伝える感情的表現なのである。この「びっくりしたあなぁ、もう。」という気持ちを表すために「生きた化石」なんて表現を誰かが思い付いたのである。学者さんも新聞記者も、隣のおばさんも、向かいのお爺ちゃんも、豆腐屋さんの源さんも、煙草屋の美代ちゃんも、みんな「びっくりしたなぁ、もう。」なのである。だからこんな無茶な結び付きが許されて、人々に好まれ歓迎される比喩として認知されたのである。そういう大勢の人々の共感を得られないので、「栄養たっぷりのウンチ」のほうはいつまでも顰蹙以外は買わないのである。たとえばどこかのカレー屋がCMコピーとして、「栄養たっぷりのウンチ」のようなカレー、その上大きい具!なんて使っても……抗議の電話がバンバンなのである。二、三日カレーは食べられないのである。 話題を代えましょう。「平凡な日常が一番」という人向きの例をおひとつ。 ・ 雨の日のドライブは星のようで好き (「雨の日のドライブ」銀色夏生) 偽鑑先生は良く知らないが、若い女性に人気の銀色夏生の作品です。皆さんもこういうのきっとお好きでしょう。カレーのお詫びの意味もあって特別サービスです。これもイメージの類似と差異という点を良く心得た作品なのである。さすが売れっ子、商売上手、若い女の子だまして金儲けしやがって、それじゃソープの店長と同じだぞと、褒めてるのか、けなしてるのかよくわからないのである。 なかなかいい比喩なんですが、こういう表現が好きだって子にかぎって、なに言ってるのか全然わかってなかったりするのである。「なんとなくぅー、ふいんき的にぃー、いいかなぁーとかぁ、おもってぇー、むずかしいこと聞いちゃいやーん」と平仮名ばかりでしゃべられたりするのである。すると偽鑑先生は、「そらふんいき(雰囲気)やろ!後ろからどついて、蹴りいれたろか。」というような乱暴なことは言わず、案外可愛い子だったりすると、「そうだよねぇ、そんなことよりお茶でもしない?」と、だらしなく平仮名で誘ったりするのである。アァーア、何書いてるんだろう。 「雨の日のドライブは星のようで好き」の解説だったのである。本当は、比喩を解説するなんて、駄洒落の解説をするのと同じくらい馬鹿げたことなのである。だけど、授業というのは、そういう馬鹿げたことを平気でやってしまう、下らない時間つぶしだったりするのである。(また、ちょっと言い過ぎたな。あくまでもギャグですよ。文部省をはじめ、関係各位の皆様方、くれぐれもお怒りになられませんように、謹んでお知らせ申し上げる次第でございます。これくいら慇懃にしておけば、「遺憾に思う」程度の抗議ですむのである。) 偽鑑先生は親切なことに解釈の一例を示そうと考えているのである。「雨の日」と言っておきながら「星」を持ってくるのはちょっと無茶だろうと、少し感の良い子なら思うはずです。そういう子は、さっきの平仮名ねえちゃんよりはいくらかましです。だけど、ほんの少しましなだけなので、喜んではいけないのである。そういう子は、きっと男の子と雨の深夜に車でデートしたことがなかったりする不幸な少女か、本物のお嬢さんか折り紙つきの処女だったりするのである。(どうも今回は過激過ぎるなぁと心配になってくるのである。)こういう、ちょっと見は矛盾するものを、うまく結び付けていることに面白味があるんです。その面白味について、これから解釈しますよ。 雨の日、彼の運転する車の助手席、そのシートに腰掛けて、この彼氏ともそろそろバイバイしようかな、最近やたらケチで、口うるさくなってきたし、その割にあっちの方はさっぱりだし、前の彼氏の方がずっと良かったわ。なんて事を彼女は考えている。窓の外に目をやると、夕方から降り続いている雨は、相変わらずやもうとはしない。ふと、窓ガラスを見ると、ぶつかっては、はじけて、流れていく雨粒の一つ一つが、高速のネオンを反射して、キラキラ、キラキラ輝いている。あぁ、雨の日なのに、まるでたくさんのお星様が出ているみたい。そう思って、少しだけ優しい気持ちになった彼女は、もう少しこの彼と付き合ってみようかなと、運転する彼の右手にしなだれかかるのだった。(この右手というのはミソですよ。なんだか分かんないですって、助手席から運転席にだと「左手に」となるのが普通です。それが「右手に」というのは、彼が運転している車は外車だということですよ。そこまで状況設定をしているんです。彼の年齢はいくつで、どんな会社でこんな仕事をしていて、年収はいくらでという事まで考えてあるんです。考えてあるけど、今回は書かない。なぜかキッパリしているのである。) というふうに、たった数文字の詩の一節から、変なお話しを作り上げちゃう、この想像力のくだらなさ。本当に漢文の先生なのか疑わしくなってくるほどなのである。しかし、こうすれば「雨の日」と「星」とは無理なくつながるでしょう。言い忘れましたが、銀色夏生さんの実際の詩がどういう内容なのか、全然知らないので、まるっきりのでっち上げです。でも、このくらいの解釈力を持つと、言葉が楽しく輝いてみえてくるのですよ。どうしたらこういう解釈力が身に付くか、あなただけに教えましょう。「古文と漢文をしっかり勉強する。」これしかありません。楽しい言語生活のために古文と漢文を、輝く未来は古文と漢文から、お子さんからお爺ちゃんまで家族そろって古文と漢文、お墓に持っていくなら古文と漢文、草葉の影から古文と漢文なのである。大霊界だって古文と漢文。オー■■理教も幸■の■学も古文と漢文、木枯らし紋次郎も桜田さんも古文と漢文、(これだけ古文と漢文を持ち上げれば、文部省も喜ぶ……喜ばないだろうな。また、ちょっと言い過ぎたなぁと反省しているのである。) | |
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