偽鑑先生の作文講座 その四
四、表現技法(修辞法)―比喩表現を楽しもう《20p》
 
 九、検証(隠喩―雨・雪)
 
 そういうひとひねりしたものを、また中島みゆきから一つ。
・雨が空を 捨てる日は 
 忘れた昔が 戸を叩く
 雨が空を 見限って
 私の心に のりかえる       (「雨が空を捨てる日」中島みゆき)
 あまりみゆきばかり褒めると、反感買いそうですから、褒めるのはやめましょう。「雨の降る日は昔のことをいろいろ思い出して泣きたくなってくる。」散文で説明すると、たったこれだけの、誰にもあるような平凡なある日の出来事が、こんなふうにも表現できるのです。文章は内容だけが大切じゃないということの意味が、何となくわかるでしょう。「雨の降る日は昔のこといろいろ思い出して泣きたくなってくる。」とかいたのでは、読んだって面白くもなんともありません。でも、中島みゆきのような表現されると、「そうよねぇ、その気持ち、私もわかるわぁ。」と、共感したくなっちゃうのである。これは、「春の日の朝はいつまでも眠たくて、なかなかおきられないなぁ」というのを「春眠暁を覚えず」と表現した孟浩然にも言えることなのです。同じような内容でも、表現は全然違うでしょう。もし永久著作権なんてものがあったとしたら、孟浩然の子孫は大金持ちになれたりするくらい、人口に膾炙している漢詩の一句なのである。料理と一緒で、ちょっとの工夫をするかどうかなのである。この工夫が大金持ちへの第一歩なのである。
 そういうわけでもう一つ、「雨―涙」の例を見てみましょう。といっても、もうファンの多い、はやりの歌手は持ってきませんよ。そんなのは危なくって仕方がないのである。
・ぼくの流した 一粒の涙が
 空へ舞い上がり
 小さな雲になった
 そして 今日は雨
 ぼくの涙が帰ってくる
 はい、作者の名前がありませんね。これなら大丈夫です。偽鑑先生十六歳の時の作品の一部です。一応は、見本を示しておいて、恥ずかしいので論評は抜きなのである。もうひとつこれは十八の時の作品から。
・いつも 君の涙は
 雨よりつらい
 こんなことばかり言って、女の子だましてあるいてたわけではないので、誤解のないように。あくまでも創作活動の一環なのである。
 雨を題材にしたものをいくつか見てきたので、次は雪なのである。
 その前に言葉について一つ。言葉というものは単にものを指し示す記号なんかではなく、様々な意味とイメージと歴史を背負ったものなのである。たとえばそれは個人によって、時代や国、地域によって違うものであったりするのだが、一定の共通したイメージも持っているのである。たとえば漢詩の世界で「鳥」のイメージと言えば陶淵明の自由への憧れと言ったものを抜きには語れない。「馬屋」「処女」「予言」なんて言葉に、我々は何にも感じなくても、キリスト教圏の人たちは敏感に反応するのである。あるいは「白象」「夢」「腋の下」なんて言葉に対しては、立命館の学生ならまだしも、本学の学生なら敏感に反応しなくてはならないのである。たとえば「山」と言えば「富士山」で、「富士」と言えば「不死」で「かぐや姫」でというイメージの連鎖もある。ある人は「登山」「恋人」「死」だったり、「蔵王」「樹氷」「新婚旅行」だったり、「火山」「雲水」「火砕流」だったり、「天狗」「義経」「ジンギスカン」だったり、「高野山」「空海」「孔雀王」だったりするのである。
 同じように「雪」も「冷たさ」だったり「白さ」だったり「やわらかさ」だったり「はかなさ」だったり、「明るさ」だったり様々なのである。言葉というのは、そういう恐ろしく広く深い意味とイメージと歴史を背負ったものなのである。その言葉のもつ多義的な力を理解し、利用するというのが詩の持つ……ウーン、難しくなってきたのでやめとこ。
 簡単に、「雪」という一つの言葉からどれだけのイメージを紡ぎだすことができるようになるかっていうのが、いつも言うようにとっても大切なことなのである。それが人間的に豊かな人になるということだったりするのである。そしてそのためには普段からの読書、特に古文、漢文なのである。というふうに、すぐにここへ持ってくるところなんてのは、実にまったく教師の鏡なのである。またもや文部省にも媚を売ったところで「雪」なのである。
・ゆき 気がつけばいつしか
 なぜ こんな夜に降るの
 いま あの人の命が
 永い別れ 私に告げました   (「雪」中島みゆき)
 さあ、この「雪」はどんなものやことをイメージさせるでしょう。言うまでもなく「死」と関係してくるのは当然ですね。「雪」「静けさ」「手のひらの上ですぐ消えていく」「はかない」「冷たい」「死」これでいいでしょうか。ちょっと単純すぎませんか。むしろ、と言うより、倒置的に「雪」「白」「明るさ」「光」「美」それなのに「死」という屈折した見方はどうでしょう。「死」に対して「明るい」という捉え方持ってくるのはちょっと……と意外に思われる人がいらっしゃるかも知れませんが、「死」だからこそ「明るさ」なのです。強い光りがあってこそ影がより浮き立つのだという、あらゆる表現に共通の常套手段でもあるのです。たとえば「レモン哀歌」をもう一度見てください。その詩にもちゃんと「明るさ」があるでしょう。ですから、このみゆきの詞の場合も、こんな屈折した見方が可能ではないかと考えてしまうのです。
 そして、もう一つ、そう思わせる理由があります。宮沢賢治に次のような有名な詩があるのです。
けうのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ    (宮沢賢治「永訣の朝」)
 中島みゆき「永い別れ」という言い方は、どうもこの「永訣の朝」という詩を踏まえたうえでの表現である様な気がしてならないのである。札幌藤女子大国文科出身の中島みゆきなら、このくらいの詩は知ってて当然なのである。後はほかの部分からも賢治と共通する表現を探しだして、ほかの詩にも賢治からの影響が見られるということを丹念に立証すると、突然学問的になったりして、西田先生もびっくりということになるのである。でも偽鑑先生は、詩に関しては、学問的にはなったりしないのである。詩は学問にしないと、昔さよならは言わないと誓い合ったある女性と約束したのである。ウッソ、ピョーン。(久しぶりに出たのである。偽鑑先生はこれが一番気にいっているのである。気にいっているから滅多に使わないが、この部分だけは羽野昌紀風にすべてをふっきった笑顔で、明るく読んで欲しいと思っているのである。羽野昌紀が嫌いな人のために、桂小枝風でも許容範囲かなと思っているのである。)
(この章続く)
 
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