偽鑑先生の作文講座 その四
四、表現技法(修辞法)―比喩表現を楽しもう《19p》
 
 九、検証(隠喩―雨〜涙)
 
 さて人生なんて重いものの話の次は、もっとぐっーと軽いものを扱うことにしましょう。
・泣かないで夜が辛くても
 雨に打たれた花のように   (桑田佳祐「{不明}」)
 さぁ、サザンの桑田さんです。(ファンが多そうなので、へたなことは言わないように謹まなくてはいけないのである。)そもそも桑田佳祐という人間は、歌詞に意味なんて必要ないなんて言う、偽鑑先生とは到底話の合いそうもない人間だったりするのである。
「ノリというか、意味よりも気持ちのよさってことしかなかった。」
(「ただの歌詞じゃねえかこんなもん」)
 こんなこと自分から言うのだから、桑田佳祐の書いたものは一切批評をする価値はないと、偽鑑先生は考えているのである。だから間違っても桑田佳祐の書いた歌詞の中から、上手な比喩の例なんて捜し出して提出したりしないように。そんなものが提出されると、間違いなく破り捨てて、唾ぺっ、ぺっ、としてしまうのである。(どう考えてもまずい言い方だなぁ)でも、曲はとっても好きですよ。時々愛聴してますし、CDだってたくさん持ってますよ。えっ、タイトル?えーッと?(嘘はすぐばれるのである。)
 さて、そうは言いながら「雨に打たれた花のように」なのである。泣いている女の人を雨の中の花に喩えているんですね。これも分かりやすい、きれいな比喩ですね。(とりあえず「きれいな」と言っておくのである。こう言っとけば、ファンの人からブスリということにはならなくてすむのである。)でもちょっと待ってくださいね。これもありふれたたとえなんです。(せっかくのフォローが台無しなのである。)次の例を見てください。
紅の涙出づる気色、まことに匂ひ異なる八重の紅梅の、春の朝の雨にしほれて、よそほい淋しきに通いたり。  (「唐物語」)
 これは、平安時代後期に書かれたものです。桑田某と同じで、「泣いてる女性の姿……雨の中の花」という比喩ですね。ただ「紅梅」というふうに花が具体的になっていますね。さっきも言ったように、具体的な花の名を出すほうが、鮮明なイメージを与えるという点で勝るかもしれませんね。もう一つの例を、今度は中国から。
玉容寂莫涙欄干(ぎょくよう せきばく なみだ らんかん)
梨花一枝春帶雨(りか いっし はる あめをおぶ)
 「何だか漢字ばかりでわけわかんない」どころか「頭痛がしてきた」なんて人までいそうなので、現代語訳も書いときます。
〔宝石のように美しい顔は、さびしさにかげり、はらはらと頬を涙がつたう。そのさまは、ひと枝の梨の花が春の雨にうたれて濡れているようだ。〕 (「長恨歌」白居易)
 これは漢詩なのである。世にも有名な(皆さんが知らなくても世の中ではそういう事になっているのである。)「長恨歌」の一節で、死んで あの世に逝った絶世の美女楊貴妃が、玄宗皇帝のことを思って泣いている場面なのである。「長恨歌」の中でも偽鑑先生が好きな一節でもあるのだ。特に「梨花一枝春帶雨」はお気に入りなのである。「唐物語」のように、たとえる花が「梅」とくると、偽鑑先生の場合、「梅……梅干ババァ」というようにイメージが展開していって、ちっとも素敵じゃなくなるのである。その点「梨の花」の場合は、「リカ」という音の響きが、「リカちゃん人形」のような可愛い女性をイメージさせ、その上「梨の花」というと……、あっ、実際は見たことがなかった。しかし、きっと白かピンクの可憐な花に違いない。勝手にそうイメージするのである。(その後図鑑で調べたところ白い花でした。)そして……
 「ピンクの可憐な花」を咲かせる梨の木の下、十九か二十の、少女から大人へとたゆたう、うつろいやすく、あやうい美しさをもった、髪の長い女性が、髪にふりかかる花びらを、細い指ではらいながら、何が哀しいのか、そっと小首を傾けて、うつ向くように涙を流す。彼女のか細い肩が、胸が、脚が、悲しみの寒さにふるえ、ふりかかる白い梨の花びらが、まるでこまやかな春の雨のように見えて、そんなにも彼女を悲しませるのは、いったい何なのか、あるいはいったい誰なのか……、
 というような「梨花一枝春帶雨」なのである。楊貴妃や玄宗皇帝の事はすっかり無視して、まるで少女漫画の世界なのである。「梨花一枝春帶雨」なんて漢字の羅列からこんなくだらないこともイメージできるのである。こうなると漢文も中文も面白くて仕方なくなるのである。
 「梨花一枝春帶雨」に比べて、桑田さんの「雨にうたれた花のように」は、実に簡単で分かりやすくて、世の中の馬鹿な……以下略。世界に誇る歴史深き詩の大国である中国の生んだ大詩人白居易とアーティスト気取りのあほなお調子もんを比べるのがそもそもの……以下略。(やたらと省略ばかりだが、間違いなく夜道の一人歩きはできないのである。)
 「泣いてる女性の姿……雨の中の花」というイメージ・パターンのものをいくつか紹介したが、今度は「雨―涙」という、もっと直接的なものの中から一つ紹介しよう。これは、わりと固定化されたイメージ・パターンなので、「この雨は私の涙です。」なんてあからさまに言ってしまっては、「ハイ、ハイそうですか、わかったから、あっち行っとき」なんてことになるのである。やはり、ひとひねり必要であろう。
(この章続く)
  
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