偽鑑先生の作文講座 その四
四、表現技法(修辞法)―比喩表現を楽しもう《14p》
 
  (「九、検証(隠喩・擬人法―青春)」のつづき) 
 
  別な青春を一つ。


 ・人生に最初から失恋して生まれてきたような男だった。(原口統三「二十歳のエチュード」)
 ・昔「戀」という字は難しかった。とても画数の多い字で、いろいろ手続きが面倒で、いろいろトラブルがおきや
  すかった。ところが今「恋」という字はなんと手軽になったのだろう。 (大宅歩「ある永遠の序章」)


 はい、今度は二つまとめてあげました。原口統三の例などは哀しいですね。哀しくて泣きたくなるほどです。似たような表現をもう一つ挙げましょう。


 ・生まれ落ちて最初に聞いた声は落胆の溜息だった(「やまねこ」中島みゆき)


 子供の誕生なんて、これ以上の幸福はないだろうに、普通なら家族の喜びの声、「でかしたぞ」という歓声、「よく頑張ったな」という夫のやさしい声、「ワーイ、弟だ」という歓喜の声なのである。それなのに、「落胆の溜息」ときてしまう。「落胆の溜息」を聞きながらこの世に生まれてきた、そんな赤ちゃんの人生なんて、考えたくもないほどつらいですね。
 実は、原口統三と大宅歩を並べて出したのは、深いわけがあっての事なのです。この二人には共通点があるんです。二人とも若くして、今の君たちと同じくらいの年令の時、自らの手で命を絶っているんです。ショックですね。そういう事実を知ったうえで、原口統三の言葉を読むと、本当に哀しいですね。あまりに哀しいので、偽鑑先生は語る言葉を持たないのである。しかし、目はそらしちゃいけないのである。自殺の可否は別にして、しめくくる場所として、僕たちに死は必要なのである。ありきたりではあるが、死があって初めて生が存在するのだと、一年前死にそこねた偽鑑先生は考えるのである。
 「死」と言うと、偽鑑先生は、高村光太郎の「知恵子抄」を紐解かずにはすまされないのである。「死」の前に、まずはこれです。


 ・をんなが附属品をだんだんと捨てると
  どうしてこんなにきれいになるのか
  年で洗われたあなたのからだは
  無辺際を飛ぶ天の金属
     (「あなたはだんだんきれいになる」高村光太郎)


 去年、何人かの学生さんからも提出された例ですが、これはいい。「智恵子抄」の中でも、偽鑑先生が好きな比喩の一つです。こういうのを提出されると、思わず良い点数をつけたりするのである。この世でもっとも美しいのは、すべてを捨て去った女の裸体である。ということは言うまでもないのだが、「年で洗われた」ときて、最後に「天の金属」とくる。この偽鑑先生のもっとも感動する「天の金属」という表現は、彫刻家でもある高村光太郎ならではのものだというのが、大方の学者先生の見方である。しかしこれ以上に解説を加えるのは、詩に対する冒涜だと言ってもいい。これはこのまま解説なしで味わいましょう。
「智恵子抄」というと、やたら引用したくなるのですが、そうもしていられないので、やはり「死」というテーマにふさわしく、「レモン哀歌」を引きましょう。


   レモン哀歌
  そんなにもあなたはレモンをまってゐた
  かなしく白く明るい死の床で
  わたしの手からとった一つのレモンを
  あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
  トパァズ色の香気が立つ
  その数滴の天のものなるレモンの汁は
  ぱっとあなたの意識を正常にした
  あなたの青く澄んだ眼が微かに笑ふ
  わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
  あなたの咽喉に嵐はあるが
  かういふ命の瀬戸ぎはに
  智恵子はもとの智恵子となり
  生涯の愛を一瞬にかたむけた
  それからひと時
  昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
  あなたの機関はそれなり止まった
  写真の前に挿した桜の花かげに
  すずしく光るレモンを今日も置かう


 智恵子は、二十九歳の時、三つ年上の光太郎と結婚した。それから二十数年の歳月をともに暮らすことになる。智恵子という人はお金にはまったく無頓着で、裕福な家に育ったにもかかわらず、お金のないことを気にもしなかったという。ある時、いよいよ食べられなくなったらどうするのだと光太郎が尋ねると、あなたの作品(彫刻)の方が大切だと言ったという。その智恵子が、昭和七年のある夏の日、自殺をはかっている。理由はあれこれと取り沙汰されているが、死の訳なんて、誰にも、きっと本人にだってわかりはしないものだと、僕は思う。幸いに命はとりとめたが、その頃から智恵子の精神は悲鳴をあげだしていた。しかし、精神に異常をきたした後も、光太郎の作品だけは理解していたと言われている。その智恵子が、精神分裂病患者として、レモンとともに永遠の眠りについたのは、昭和十三年。五十三歳の時であった。その時の彼女は、とても五十過ぎには見えず、「天の金属」と呼ばれた、そのままの美しさをしていたという。
(この章続く)
 
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