偽鑑先生の作文講座 その四 | |
四、表現技法(修辞法)―比喩表現を楽しもう《13p》 |
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九、検証(隠喩・擬人法―青春) |
ということで、次へ行こう。 ・かあさんのひざは そのひざは ゆりかご もくば くさのおか (サトウハチロー) これはまた、ホンワカした隠喩ですね。こういう静かで穏やかな、白い雲の上で昼寝しているような表現は、偽鑑先生も好きなのです。「かあさん」とくれば、「ゆりかご」「もくば」この辺まではわりと普通ですね。ただ、ひらがなで書かれているんだという事や、リズミカルだという点は、忘れずに味わってほしいものです。そして、最後に「くさのおか」これがこの詩のポイントといってもいいでしょうね。「ゆりかご」なんて誰でも持ってきそうでしょう。「類似性」そのままです。それに対して、「くさのおか」は独自性が感じられますね。母親の膝の持つ暖かさや安心感、あるいはあるいは故郷を思い出させる緑の匂いといったもののイメージが「くさのおか」とオーバーラップしてきますね。田舎出身の偽鑑先生は素直に共感してしまうのです。皆さんはどうでしょう。ママのオッパイが恋しくなりましたか。今日は寄り道しないで帰りましょう。そして、おかあさんの肩の一つも揉んであげましょう。あるいは、花の一輪も買って仏壇に飾ってあげましょう。 なにやら少し教訓臭くなったので、雰囲気をかえましょう。 ・感情が肉体をひっぱりまわしている。(吉本ばなな「つぐみ」) さぁ、今度は擬人法ですね。あんまり好きな作家ではないのですが、こういう表現というよりも、物事の見方はさすがだと思いますね。偽鑑先生は素直に感服するのである。感情ばかりが先走って、肝心の肉体はちっともついてこない。そうするうちにすっかり疲れ切ってしまい、感情ばかりが空回りを繰り返す。若い時にありがちなことですね。年をとると、肉体に相談してから感情が動きだすなんて事が多くなって、あふれ出るパッション(情熱)なんてものはすっかり影をひそめてしまい、ああ、僕の青春はどこに行ってしまったのだろうなんて、愚痴がこぼれたりする、そういう年頃の偽鑑先生なのである。 ・少年は思慮の森 (銀色夏生「Lesson」) ハイ、またお会いしましたね、去年の学生はよほど銀色夏生が好きだったんでしょうね。これは、内容的には前の吉本ばななの捉えかたとは全く逆ですね。こぼれ出さんばかりの感情の波に振り回され、やみくもに突っ走る若者がいるかと思うと、わけわかんないくせに難しい哲学書や、ハイネの詩集なんて胸に抱いて、愛って、生きるって、永遠ってなんなのだろうなんて、そういうのもやっぱり青春だったりするのである。きっと、吉本ばななの青春は前者で、銀色夏生は後者だったのかも知れない。あるいは全く逆で……。あなたはどちらの生き方をしていますか。 そういえば最近んだ本の一つに「二十歳の詩集」(谷川俊太郎編・新書館刊)というのがありました。有名な詩人や文学者が二十歳の頃にどんな詩を書いていたか、二十歳の頃の作品ばかりを集めたアンソロジーです。言うまでもなく、人それぞれの二十歳があって、いろいろな愛があり、いろいろな苦悩があり……そして当然のように、自分自身の二十歳の頃を思い出したりもしました。ずいぶん昔のことなのにまるで昨日のようで、いつの間にか教壇の向こう側からこちら側へと居場所が変わり、時の埃ばかりを張り付けて、いくつもの二十歳の目に向かって偉そうなことを言ってる、そんな僕にも、やっぱり二十歳の頃はあって……、好きな子もいたし、嫌いだって言われた事もあった。何をしたいのか、すればよいのか、できるのか、何もわからなくて、焦ったり、あがいたり、無性に腹が立ったり、やみくもだったり、なげやりだったり、でもいくつか何かをって事だけは思っていた。……そんな何も前の見えない二十歳の頃、よく聞いていた歌に「私時々おもうの」という曲があります。その一節です。 わたし時々おもうの ……… いつのまにかいつのまにか命の終わり わたしたちが若くなくなったとき わたしたちは まだ いつかいつかと 声をかけあうことがあるかしら (『中島みゆき全歌集』より) まだデビューする前の二十歳の学生だった頃、中島みゆきが作った曲です。その中島みゆきも、とうに四十の坂を越え、それでもまだ「いつか」と思っているだろうかと聞いてみたいような……そう簡単には明日なんて信じられなくなった、最近の「ぼくは時々おもうの」です。 季節のせいでしょうか、柄にもなく思い出に浸ったりして。「前を向いて歩くためだけに、僕は後ろを振り返る。ただ後ろを見るためだけに、後ろを向くというのでは、それはあまりにも惨めではないか。」(しかし、思いっ切り気取った情緒ベタベタ感傷グチョグチョ自己満足の精神的自慰文章で、書きながら少し首筋がかゆくなってきたのである。ただ、こういう芸当もできるのだと見せつけて元に戻るのである。) 「少年は思慮の森」だったのである。しかし、なぜ少年なんだろう。少女ではいけないのだろうか。それでは重大な女性差別で……、いや待てよ、「少年」という言葉の中には少女も含まれているのであって……、「少年」と聞いて男の子しかイメージできない偽鑑先生の思考回路自体が女性差別で……、ウーン、ややこしくなりそうなので、とりあえず、少年が思慮なら、少女は何だろう。皆さんも考えてみましょう。というような方へ話を持っていくのである。少女は……少女はガラスのハイヒール。少女は移り気なトマト。少女は張りつめたシャボン玉。少女は感受性のジャングル。まるでCMコピーか何かのように、いくらでも出てくるが、このくらいにしておくのである。 (この章続く) | |
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