偽鑑先生の作文講座 その四 | |
四、表現技法(修辞法)―比喩表現を楽しもう《12p》 |
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九、検証(直喩) |
とりあえず、後半もまた去年の学生に頼るのである。 では一つ目。 ・女の痩せた躯は、紙袋につっこまれた魚の干物のように見えた。 (吉行淳之介「娼婦の部屋・不意の出来事」) これは吉行淳之介らしい直喩ですね。と言っても、吉行淳之介を読んだ事のない人には解らないな。ウーン。説明のしようがない。偽鑑先生も、そうたくさんは読んでないので、へたなこと言うとボロが出るし、とにかく「らしい」のである。しかし、考えてみれば、この際「らしさ」なんてどうでもいいのである。誰が書いたものであろうが、表現それ自体を味わうのである。 この表現から具体的にどんな女性をイメージしますか?どうイメージしようと個人の勝手と言えば勝手なのですが、そう言ってしまっては授業にならないのである。ただ、どんなイメージでも結構ですが、イメージできないというのは困りますよ。それじゃ単なる馬鹿…じゃない、イメージ貧乏人ということになってしまいます。一所懸命働いて貧乏から抜け出しましょう。えっ、なんです?貧乏なのは世の中が悪い?働けど働けど……、じっと手を見る。(これわかったかな?ちょっと無理だったかな。まあ、西田先生にわかってもらえればいいや。) とにかく吉行淳之介の、路地裏沿いにあるちっぽけなバーの薄暗いカウンターの奥にいるような、寝起きのまま髪もとかさずにいる、少し年のいった、売春なんかもしちゃう、悲しげな目をした水商売のお姉さんが、皺だらけですっかり色あせた、下着と区別のつかないようなワンピースを着て、スカートから突き出た、痩せてガリガリのスネのあたりをボリボリ掻きながら、「なんのようだい」って、妙に明るい日差しの中へ出てきた、そんなことをイメージさせる表現を読んで、あなたはどんな場所を想像しましたか。って、ほとんど説明してしまったのである。 こんな風に何行も使わないと説明できないような女性のイメージを、「紙袋につっこまれた魚の干物のよう」だという、たった一行で表現しきる。これが比喩の力です。まったく比喩の真髄を見た思いがしますね。 さぁ、今度は少し健康的な、若々しいのいきましょう。 ・ただ君に会いたい とても会いたい アスファルトの虹がにじみ出すように (岡村靖幸「19」) これなら君たち向きですね。岡村靖幸という人がどんな人かは知らないが、まぁだいたいの予想はつくんで、そうすると悪口を言いたくなってくるが、それをぐっと飲み込んで、授業を続けるのである。 皆さんは「アスファルトの虹」ってなんのことかわかりますか。到底まともな解釈はできそうにないのである。本当の意味なんて誰にも解りはしない。岡村靖幸本人引っ張って来て聞いてみたって、「口から出まかせです」なんて言いかねないのである。あいつはそういう奴……失言です。そもそも「19」という詞の全体を読まずに、この二行だけから解釈を引き出すなんて、いくら偽鑑先生でもちょっと無理……無茶は招致で、その分多少の理屈は無視してしまい、想像力の翼を空いっぱい羽ばたかせるのである。 夏の午後、突然の通り雨、すぐに雨は上がり、また夏の太陽がアスファルトで覆われた街の通りに照りつける。そんな道端に小さな水たまり、やがて消えていくその水たまりは、雨上がりの澄んだ青空を写しだし、空にかかった虹までもが写しだされる。それを見ながら、彼女を待ち続ける男はつぶやくのであった。「この虹が、この水たまりの虹が消える前に、君に会いたい」。 しめしめ。なんとかなったのである。「アスファルトで覆われた舗道の水たまりに映った虹」縮めて「アスファルトの虹」なのである。あるいは、「アスファルトから染みだした油が、陽の光を受けてギラギラと虹色に輝いている。」なんて解釈の方がよかったかも知れない。でも、それじゃあまりにも現実的で即物的で、偽鑑先生の好みではない。 (この章続く) | |
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