偽鑑先生の作文講座 その二
二、はじまりは光合成なのだ2
 
 
 光合成についてである。
 「またか、しつこいぞ!」「いけず!」「最低!」「信じらんない!」という罵声と非難の……。
 
(前回と同じではないかと思った、そこのあなた、早とちりはいけません。前回とは違います。前回は「しつこいぞ!」で、今回は「またか、しつこいぞ!」です。「またか」という言葉を入れることによって…もうごまかされませんか?やっぱり同じ手は二度使えませんね。今回はまじめに書くことにしましょう。前回はあまりにおふざけが過ぎたので、僕はふかぁ〜く反省をしているのです。教師たる者、あんな文章を書いてはいけないのです。まして授業の教材なんかにしてはいけない。中学や高校だったら、PTAからすぐに苦情が出て、職員会議で問題になり、校長先生に呼び出されて、暗に辞職を強要され、それを断るといじめにあい、それを不当労働行為だと裁判所に訴えて………。ほんの冗談のつもりで書いた文章が原因で、こんなとんでもないことになりかねないのが大人の世界なのである。まさか大学ではそんな事にはならないと思うが……。とりあえず反省しておくのである。そして今回はまじめに書くのである。君たちが「もういや。先生やめて!お願い、私が悪かったわ。」というくらいまで、固く、真面目に、正統的に、断固として、誠心誠意一所懸命徹頭徹尾一心不乱に、筆舌に尽くしがたいほどに、そうなのである。これだけ漢字使って書いとけばPTAからも文句はでないだろう。)
 では初めから。
 光合成についてである。そして時は三十億年に遡る。
(おい、おい、いくら何でも、それはちょっと無茶じゃないか。全然まじめになっていないじゃないか。とお思いのあなた、言ったでしょう、早とちりはいけません。僕のあの決意はいささかもゆらいではいないのです。こうした結びつきそうもないものや、意外な組み合わせのものを持ち出しておいて、興味をそそるというテクニックは、芸人にとって……じゃなくて、文章を書くときに、読者を引きつける常套手段なのである。)
 誰がなんと言っても、三十億年前のことである。三十億年と言っても、どのくらい前なのか。君たちの好きな言葉で表現すると“すっごく”前なのである。
(ついでながら、僕が「すごく」という言葉をなぜ毛嫌いするのか、という点について触れておこう。ひとつには単純に音の響きが嫌いなのである。「SUGOKU」という音は、僕の耳にはとても下品で、汚らしく響くのである。妙齢のしとやかな美女がいて、その美女を、よだれをたらしそうな顔をして、きれいな人だなぁと見とれていたとしよう。そんな時、その美女の口から、この「SUGOKU」という言葉が飛び出してこようものなら、もうそれだけでげんなりして、その美女には興味を失くしてしまい、たとえその女性が裸でせまってきたとしても、僕は断固として拒絶……はしないだろうな。それはともかく、ほぼ同じ意味で使われる「とても」という言葉の響きと「すごく」を比較してみるなら、どなたもなるほどと頷かれるのではないだろうか。これが、ひとつめの理由。「すごく」が嫌いなふたつめのわけは、この種の言葉《すごく・とても・たいへん》は、これ一言ですべて事足りるような便利な言葉ではあるのだが、反面すべてをこの一言ですましてしまうというのは、言葉というものに対する裏切りであり、言語表現の持つ多様な可能性の放棄にもつながり、文学する者にとって許すべからざることなのだと思うのです。{どうです。おもいっきり真面目でしょう。こんな真面目なことも言えるんですよ。ついでながら、ここの文章を注意してみてください。《「すごく」が嫌いなふたつめのわけは》で始まって《と思うからである。》まで、約五行にわたる長さである。こんなに長いのに「わけは……からである。」というふうに、始まりと結びの一致。見事です。文章としての出来不出来は別にして、こうでなくっちゃいけません。拍手してもいいくらいですよ。}
 「すごく」という言葉は、すごく美しい、すごく悔しい、すごく悲しい、すごくいやらしいと、何にでも使えるのである。本来、“すごく”は醜いもの、汚いものに使う言葉だったのですが、今それはおいときましょう。ただ単に「すごく」ですましてしまわずに、その「すごさ」がどれほどのものなのか、どんなふうに美しく、悔しく、悲しく、いやらしいのか。それを、いろいろな言葉を駆使して表現するのが大切なのです。そうすればその「すごさ」が、よりいきいきと強く読者に伝わるのです。そして、そこから比喩が生まれ、文学が生まれ、単なる文章がひょっとしたら芸術にまでなるのです。すこし大袈裟かな?そんなことないですよね。僕の言うこと間違ってませんよね、西田先生。
 西田先生の同意が得られることを期待して続けます。たとえば「すごい」という言葉が僕は「すごく嫌い」なのである。でも僕はそうは書かなかった。どれくらい嫌いなのかは、美女の譬を使って表現したのである。
{僕は自分の言った事をちゃんと実践してみせたわけで、教師はかくあるべきだと常々思っているわけです。うまいへたは別ですよ。前回も言ったように、それは言わないのが優しさです。}それに、あまり頻繁に「すごく」を使いすぎると、いざっというときにインパクトがなくなってしまいますよ。そうなると、よりインパクトの強い、たとえば最近では「超〜」なんて言い方が若者の間に現れてきています。そのうち、「超〜」でも物足りなくなって、「ものごっつう」なんて表現を使うことになって……さらに事態はますますエスカレートしていき、最後には近頃のAVのように世紀末的……イヤ、いかんいかん、つい…。
 文章論である。よりいきいきとした、鮮明な言語表現が求められているのであり、そうした「読者を意識した文章づくり」ということも心がけなければならないのである。君たちの書いたレポートを読んでいる先生がたは、君たちから見たなら読者だということを忘れてはいけません。読者のことを考えて、時々はお世辞を折り込んで喜ばせるとか、先生が好きですと恋の告白をしてドキドキさせるとか、そういうことをしようという気になりませんか?あっ、イヤ、嘘ですよ。そんなことしてはいけません。そんなことするとPTAが……職員会議が……。そうではなくて、読者である先生のことを考えて、できるだけ丁寧な字で書くとか、一度は読み返してから提出するとかいった心配りをしなさいということです。これで大丈夫だろうな。まぁとにかく、僕は「すごい」が嫌いだということです。そう言いながらも、つい使ってしまうので困るのですが。僕が使ったら注意してくださいね。)
 
さて、長い間おやすみをいただきましたが、光合成である。そして三十億年前である。その三十億年前が、どのくらい「すごい」昔かということである。地球ができたのが四十六億年前で、一番最初の生命の誕生したのが四十億年前。そういう時間の中で三十億年前のことである。このくらい「すごい」のである。その三十億年前の地球上にストロマトライトという生物が生まれたのである。(お前実際に見てきたのか!というような、子供じみたことは言わないように。僕自身も書きながら少し不安なのですから。たとえば、三十億年という数字はどこまで確かなんだろうとか。ストロマトライトというのは確かだったかな。ひょっとするとスロトマトライトかもしんないな。ウーン困った。何か続きを書くのが億劫になってきた。だがここでめげてはいけない。気をしっかりもって、ガンバレ負けるな。前回も、うまくごまかしたではないか。やればできる。そうだ!言い訳をしておこう。今書いていることは、しっかりと書物を調べて書いているわけではなく、前回同様に昔のおぼろげな記憶を元に書いているのである。だから、すこぶるいい加減なのである。よって、くれぐれもよそにいって話したりしないように。どだい漢文の先生が、光合成の話をするというのが間違っているのであって……)
 話は戻って、このストロマトライトという生物こそ、光合成を行った最初の生物だったのである。ネッ、ちゃァーンとつながったでしょう。光合成と三十億年前。
 ところで、当時の地球は、現在とはずいぶん様子が違っていたそうである。何が違っていたのかというと、なにより大気の組成が違う。
(「大気の組成」ときたよ。なにやら難しそうで、自分で書いときながら、漢文の先生はワクワクしてくるのであった。)早い話、我々が毎日すっている空気と違って、三十億年前の大気には、全くといっていいほど酸素が含まれていなかったのである。酸素がないということは、呼吸ができないということだから、うかつにタイムマシンなんかで遊びにはいけないな。(ウン。そうだ。これはまちがっていない。)しかし呼吸ができないんじゃ、どんな生物も生きていけないなと思うのは誤りである。聞くところによると、最初の頃(当然四十億年前。)地球上に現れた生物にとって、酸素は猛毒だったらしい。彼らは酸素が大嫌いだったのである。だから、そういう生物を嫌気性生物というのだそうである。酸素がなくたって彼らはなんにも困らなかったのである。ところが、それなのに、ああそれなのに、当時、陸上には一匹の生物もいなかったのである。言うまでもなく、人間やキリンさんはもちろん、恐竜だってシダ植物だってまだ生まれていませんし、細菌やアメーバやどんな微生物も陸上にはいなかったのである。じゃぁ、どこにいたんだ。そう水の中である。生命は海の中で誕生し、海の中で進化していったのである。
 そのころの陸上には、いかなる生物も生存できない重大な原因があったのです。それが「紫外線」です。現在とは比べものにならないほど大量の紫外線が地球上に降りそそいでいたのです。そしてこの紫外線にあたりつづけると、どんな生物も遺伝子を破壊されてしまうのです。
(「紫外線」に「遺伝子」ときたら、もう科学の最先端なのである。科学の世界における最新の流行なのである。言ってみれば、ルイ・ビィトンだのベルサーチだのティファニーだのといったブランドものなのである。女子大生やOLがそうであるように、文系の学問をしている人間は、こういう言葉を聞いただけでクラクラめまいがして、あぁいいなぁと憧れてしまい、ははぁとひれ伏してしまうのである。その最新流行の言葉をふたつも使ってしまうのである。)
 いいですね。ここが大切なところです。今日のポイントと言ってもよいくらいです。また後で出てきますからしっかり覚えておいてください。紫外線のせいで陸上には生物が棲めなかったということです。
(光合成はどうしたんだ。紫外線ではなく光合成を出せと息巻いたりしないように。光合成はこれからです。)
 こうして海の中で誕生し、進化していった生物の世界に劇的な変化をもたらしたのがストロマトライトなのである。これは現在のラン藻の仲間で、細胞の中に葉緑体を持った生物だったのである。この葉緑体あるいは葉緑素の部分が光合成を行うのである。この葉緑素自体も元々は微生物の一種で、それが他の生物の細胞の中に入り込んで一緒に暮らすようになったのだそうである。我々の細胞の中にあって、呼吸にかかわる大切な働きをするミトコンドリアも元々は別な生物で、いつの間にか細胞の中へ入り込んできたものらしいのである。言わば細胞の中に寄生しているわけで、ちょっと気持ち悪いような気がしないでもないな。しかし、植物はこの葉緑体を持ったおかげで、自分で養分を作り出すことができ、今日の晩御飯なににしようかななどと悩まなくてすむのである。たったそれだけのことで、植物さんは偉いなぁと、病気の僕は尊敬してしまうのである。それにひきかえ、我々人間は自分では養分を作れないので、他人(植物)の作った養分を横取りしているのである。他者の犠牲なしでは人間は生きられないのである。多くの命の犠牲の上に我々の生命はあるのだ。人間とは何と罪深い生き物ではないか。ああかくも重い罪を背負ってまで、なぜ我々人間は生きなければならないのか。と考えだすと、光合成から哲学や宗教へと話は展開するのである。しかし、僕はその手の話は苦手なので、そっちへは行かないのだ。
 とにもかくにも
(各段落の出だしの言葉も注意して下さいね。本当ならみんな「さて」で始まってもいいところなのに、意識的にかえているんですよ。こういう気配りも大切なのである。)もう一度、とにもかくにも葉緑体を持っているということは光合成ができるということである。前回も触れたように、光合成というのは水と二酸化炭素からデンプンを作り出すことである。で、この時に、よう〜くご存じのように、酸素を吐き出すのである。(試験の回答を見ていると、「光合成とは、二酸化炭素を吸って酸素を吐き出すことである。」というような回答が多かったが、これは明らかな間違いですから、こう書いていた人はもう一度しっかり覚え直すように。確かに、光合成を行うときは、二酸化炭素を吸って酸素を吐き出していますが、あくまでも目的はデンプンを作り出すことで、その時たまたま酸素は余ったので吐き出しているに過ぎないのです。さらに、植物だって呼吸はしているのだから、一日中酸素を吐き出しているわけではなく、光合成のできない夜には、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出しているんですよ。お間違いなく。)
 さてさて、ストロマトライトである。長くて面倒なので、これからはストちゃんと呼ぶことにする。このストちゃんは盛んに光合成を行い、そして盛んに酸素を吐き出したのである。その結果、海水中にどんどんどんどん酸素が増えていったのである。前にも書いたように、そのころの生物はほとんど酸素嫌いだったのだから、ただもう酸素はたまる一方なのである。そのうちに、たくさんある酸素に手を付けないのはもったいない。酸素のことも毛嫌いせずに吸ってみようという、へそ曲がりな生物も現れてくるのである。いや、現われてもらわないと人類が誕生しないことになってしまうので、僕らのためにも、是非へそ曲がりな生物に登場願わなくてはならない。こうして酸素呼吸する生物も現われて、海のなかはバラエティーに富んだ世界になり、進化も一段と進んだのである。めでたし。めでたし。いやそうではない。酸素呼吸する生物が現われても、それ以上に光合成をする植物の方が多かったのである。そのため、相変わらず、どんどんどんどん、これでもか、これでもか、というほど海水中に酸素がたまったのである。
(実は、ここでサンゴ虫が現われて重要な働きをするのだが、今回は省略。)
 そうこうするうちに、もう海水中にはこれ以上酸素は溶けられません、という状態をむかえるのである。あっちへ行けと、海水に邪魔者あつかいされた酸素はどこへ行ったのか。必然的に、行き場所は大気中しかないのである。こうしてぶくぶくと酸素は大気中に放出され、大気の中にも酸素がいっぱいになったのである。万歳!これでタイムマシンで遊びに行けるぞ。うれしいなぁ。と思うのは、またまた早とちりである。思い出して下さい。「紫外線」これがあったのである。だから、たとえ今吸っている空気と同じになったとしても遊びにはいけないのである。こうして今度は、大気中にどんどんどんどん、これでもか、これでもかというほど酸素がたまっていったのである。なにせ陸上にはまだ生物がいないのだから酸素は使われることがない。使わなければたまるというのは貯金と一緒である。
 かくして、たまった酸素が地球の上空にまで到達したとき、また劇的な変化が起こったのである。それまでは酸素原子二個が仲良く手をつないでいたのが、突然酸素原子三個で手をつなぎだしたのである。どうして突然そんなことが起こったのか。どうも思い出せない。忘れてしまったのだ。なんとも情けない話なのである。まあこんなこともあるでしょう。どうしてそんなことが起こったのかという疑問には目をつぶって、話は先へと進むのであった。酸素原子二個が手をつないでいるのは酸素分子である。では酸素原子三個が手をつなぐと、何になるのだろう。答えは、オゾンなのである。どうだまいったか。まいった。オゾンですよ。今はこの言葉さえ出せば怖いものなしである。これさえあれば黄門様の印籠にだって負けないのだ。「紫外線」や「遺伝子」よりももっと強い、天下無敵のオゾンである。
 ご承知のように、このオゾンが集まってオゾン層を作り、生物の大敵であり、人類の大敵であり、お肌の大敵である、にっくき紫外線を防いでくれたのである。このオゾン層ができて、初めて生物は海中から陸上へ顔を出すことができたのである。もちろん最初は植物が地上に現われた。それがやっと約四億年前のことである。最初の生物が誕生してから三十数億年。ストちゃんが現われてから数えてもニ十数億年後のことである。三十数億年海水中で進化し、陸上へ出てきて現在まで四億年。そう考えると、生き物が陸上に出てきたのはつい最近のことなのだ。わずか四億年である。しかし四億がわずかだというは、どうもピンとこない。たとえば、どう考えたって四億円はわずかなんかではない。どうやって使おうか悩んでしまうくらいに大金だ。
(ここも「すごく大金だ」なんて、僕は間違っても書かないのだ。たとえ一度は書いてしまっても、自分で気付いて訂正するのである。)いや、かりに年収が何百億もある大金持ちだったら、やっぱり四億はわずかかも知れない。なるほど数字の大小なんて相対的なものなんだなぁと、僕は今更のように納得して、おもむろに側にある湯飲みへと手を延ばすのであった。
 あちこち寄り道して長くなりすぎたが、今からわずか四億年前に、やっと生物は地上に出たのである。そうして人類の誕生へと、お話しは続くのである。そろそろまとめに入らないと、本当に長すぎるのだが……、さぁ、どうまとめるか。これからが大変なのである。光合成から始まって紫外線。そしてオゾン層と、ここまでは予定どおりなのである。予定と違うのは長さだけで、せめて二枚には収めようと思ったのに……と、泣き言を言ったって始まらない。読まされるほうはもっとつらいのだぞって言っても、今さら仕方ないのである。学生諸君がちゃんと小テストに答えなかったのがそもそもの始まりであって……いや、あんな無茶な問題を出す先生が悪いのだ……と、責任のなすりあいになってしまっては、せっかくの愛情あふれる人間関係にひびがはいってしまうのでやめておこう。今、問題なのは、まとめである。
 近頃、やたら耳にするUVカット。
(UVというのは紫外線のことである。これは確かなのだが、正直に告白すると、僕はずっと、これはUNDER・VIOLETの略だとばかり思っていたのである。ところが、これがとんでもないまちがいなのです。危うく、嘘を書いて、恥の上塗りをするところだったのである。辞書は引いてみるものです。正しくはULTRA・VIOLETだったのです。聞きましたウルトラ・バイオレットですよ。バイオレットはわかるにしても、ウルトラですって。きっと「超」という意味なんだろうけど。ウルトラとくると、ぼくらの年代はどうしたって「ウルトラマン」なのである。そして、ウルトラマンは、まぎれもなく「ウルトラ・スーパー・デラックス・ゴールド・スペシャル・ヒーロー」で、正義の味方なのである。だったらウルトラ・バイオレットだって、ウルトラセブンやウルトラマンエースやタロウと兄弟に違いないと、そう力強く思ってしまうのである。それなのに、本当の姿は生物界の大敵「紫外線」だったなんて。ウルトラ・バイオレットなんて、嫌いだ。大嫌いだー。……ざれごとはこのぐらいにしておこう。)UVカット――日本語に直せば紫外線防止。ご存知ですね。UVカットの化粧品から始まって、UVカットのストッキング。最近ではUVカットのシャンプーまで。そういえば、僕のかけている眼鏡のレンズにも、UVカットの加工が施されている。これだけみんなが大騒ぎする紫外線を防いでくれているオゾン層が、今破壊されようとしている。極地方では、もう出歩くのさえ危険になってきている。ペットまでがサングラスをしないと危険だという。(どうです。環境問題ですよ。もうなんだって言えるのです。)やがて、すべてのオゾン層が破壊されたなら、人類は、そして多くの生物は……。陸上には一匹の生物もすんでいない四億年前の地球に、また逆戻りするのだろうか。オゾン層の破壊という問題は人間だけの問題ではなく、四億年ぶりに直面した生物界全体の問題なのである。この四億年の間の進化を台無しにしてしまうか、それともさらなる未来を、希望の光りあふれたものにするのか、我々はその岐路にたたされているのである。
                      ジャァーン。          FIN。


 三十億年前のストロマトライトからオゾン層へ、さらには人類の未来へ。時を越えた、なんと壮大なドラマなんだろうとは思いませんでしたか。生物学から進化論へ、さらには哲学・宗教へ、その上環境問題へ、おまけにウルトラマンまで。書こうと思えば、どうにだって話は持っていけるのです。すべての始まりは光合成です。だから、また作文の問題が出たときには、君たちもうまくどっかへ話を持っていって作文を仕上げましょう。
(今回は非常に真面目にうまくいったのである。しかし、調子にのって「玉子焼きの作り方」に関してまで解答例を作るなんて事はしないので安心してよろしい。) (了)  

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