偽鑑先生の作文講座 その一
一、はじまりは光合成なのだ
 
 光合成についてである。
「しつこいぞ!」「いけず!」「最低!」「信じらんない!」という罵声と非難の声が聞こえてきそうだが、そんなものは聞こえないふりをして進めるのである。
 光合成を簡単に説明すると、次のようなことになるであろう。

  葉緑素を持つ植物が、光のエネルギーを用いて、二酸化炭素と水分から有機化合物(簡単に言えばデンプン) 
 を合成すること。

 これは、ある国語辞典に載っていた説明を写したものである。卑怯者!などと怒ってはいけない。また、「自分では説明できないものだから辞書を引いたな。」というふうに先生を疑ってもいけない。かりにそう思っても、黙っているのが優しさなのである。そこで…なにが「そこで」なのかはよくわからないが、この場合優しさとは…ではなくて………?そう!光合成という言葉が、ほかならぬ国語辞典に載っていた、ということに留意しなければならない。
(この「留意」という言葉知ってますか。知らなかったら家へ帰ってから辞書を引きましょう。ここで「注意が必要だ」なんて書いてしまっては、先生としての値打ちがなくなってしまうのである。ぜひとも「留意」でなくてはいけない。「留意」という言葉を使うことによって、何か難しそうな、大切そうなことを言ってるんじゃないかな、と学生に思わせる。そういうハッタリも、文章を書くときには大切なのである。あぁ挿入部分が長くなってしまった。)
 とにかく、光合成という言葉が国語辞典に載っていたということ。例えば「コノドント動物」「超ひも理論」「サルサレゾルチン処方」などという言葉は、まちがっても国語辞典には登場しない。
(といって、実際に辞書を引いてみたわけではないし、国語辞典と言ってもどんな風変わりなものがあるか知れないので、ひょっとしたら……。この辺はいい加減な気持ちで聞いておくように。「論文を書いているんじゃないのだから、どうでもいいだろう」と思うでしょうが、この辺が学問している人のいやらしいところで、どうでもいいような事が妙に気になってしまうので……。きっと西田先生ならわかってくれるだろうな、この気持ち。それから「コノドント動物」ってなんですかというような質問には、授業が終わってからも来ないように。興味のある人は自分で調べてください。あぁまた長く……。)
 とにもかくにも、光合成という言葉が、「サルサレゾルチン処方」などという言葉とはちがってて、国語辞典に載っていたんだということ。これである。難しい科学の本や植物学の辞書や受験参考書に出ていたというのとはわけが違うのである。“愛”とか“夢”とか“人生”とか、そういう言葉が載っている「国語辞典」に載っていたのである。ウーン。これは、いったいどういうことを意味しているのだろう。“愛”や“夢”と同じように、“光合成”という言葉も、何かキラキラしていて、いい年をしたおじさんにはちょっと気恥ずかしくて、とてもしらふのままでは口に出しかねる。……というようなことではないのですよ。もっと別な、大切な意味があるのだということを君たちに考えてもらいたいのである。それを先生は切に願う次第でございます。ということで、これを今度の宿題にしようと唐突に思ったりしたのである。
 来週までの宿題。

  光合成という言葉が国語辞典に載っていることについて、その意味するところを考察し、レポートにまとめよ。

 それで話は元にもどる。
 光合成ということを説明する場合に必要とされる言葉は、光エネルギー・二酸化炭素・水分・デンプン・葉緑素。とりあえずこれだけである。たったこれだけ準備してもらえれば、後は塩・胡椒を……違った。たったこれだけなのだから、光合成についての説明は二行もあれば十分である。それ以上は無駄だ!と断言してもよい。おい、おい、それじゃあ前期試験の「できるだけ詳しく書け」というのはなんなのだ!と突っ込みを入れたりしてはいけない。かりにも私は先生なのだから。すべては、ちゃんと深い考えがあってやっていることなのだ。
(この「かりにも私は先生なのだから」という句は「突っ込みを入れたりしてはいけない。」という前の部分を受けると同時に「ちゃんと深い考えがあって…」という後の部分にもかかるという特殊な働きをしているのである。こういう特殊な働きを兼語式というのである。……ウソピョン。こういう文章は書いてはいけないのである。さて、ここの「こういう文章」とはどの文章を指しているのでしょう。@かりにも私は先生なのだからAウソピョン さあ、正解がおわかりになった方は、水着の写真を同封の上、次の宛先ま……苦情は受け付けません。)
 いったいどういうつもりであんな問題を出したのかという先生の心づもりについて述べることにする。植物学の試験ではないのだから、光合成についての学術的論述を君たちに期待していたわけではない。かりにそうした観点から書こうと思えば次のようになる。

  光合成には明反応と暗反応があり、明反応とはクロロフィルの部分で行われる光による水分解の作用のことで
 あり、一方暗反応とは明反応で作り出された水素が、二酸化炭素中の炭素と結合して、カルビン回路という反応
 経路をたどり……。

 
(どうだ、まいったか。漢文の先生でもこのくらいは知っているのである。ただし昔、塾で教えていた頃のおぼろげな記憶をもとに書いているので、嘘がまじっている可能性がある。この辺も、いい加減な気持ちで聞いておくように。そして、絶対に何があってもよそへ行ってしゃべってはいけない。どうだまいったかというのは、こんなごまかしもできるのだぞという意味である。参考までに、ごまかしとは漢字では胡麻菓子と書くのですよ。こうなると、どこまでが嘘でどこまでが本当なのか分からなくなるでしょう。先生の言うことだからと軽々しく信用してはいけません。信用できるのは自分だけです。いや、時々自分自身も信用できなく…とりあえず「胡麻菓子」は本当です。漢文の先生が言うんだから、これはちがいない。カナ?)
 こういう
(指示する部分がずいぶん前にあるが…もういい?あっそうですか。)こういう専門的な、深くつっこんだという意味で「詳しい」回答を君たちに期待していたわけではないのである。君たちが光合成という言葉を耳にして、そこからどれほど豊かでユニークな発想をするか、あるいは広く美しいイメージの翼をひろげられるか、先生が望んでいたのはそれなのである。我が愛する学生諸君は、先生の期待に違う(たが)事なく、きっときっと素晴らしい文章を、珠玉のような名篇を綴ってくれることであろうと、心密かに祈りを捧げていたのでありましたとさ。しかし。ところが。あろうことか。あにはからんや。であった。(このリズムというか、文章の呼吸というか、これも大切です。メモしておきましょう。)期待に胸をふくらませて採点に臨んだ先生でしたが、期待が大きかっただけに受けたショックも大変なもので…。どれくらい大変だったかと言うと……また脳味噌の血管が切れるのでは、というくらいにショックだったのでした。その日の帰り道、夕日を見つめる先生の目には、今にもこぼれ落ちそうな涙が……エェーン
 一見つまらなさそうに思える言葉からでも、自分自身の思いをふくらませ、一つの文章を作り出す。その文章を綴るための思考過程はきっと苦しいかも知れない。でも、その身もだえするほどの苦しさの仲から、思いもしなかった考えが沸き上がってきたり、思わぬ方向へイメージが転がっていったりもする。そうしたドキドキするような発見や驚きを味わうことができたらきっと素敵だろうなとは思いませんか。文章を書くっていうことの中には、そういうことも含まれているんだぞ。そういう素敵な気分を、君たちだって味わえるかも知れないんだよって、そのことを、この授業を通じて君たちに知ってもらいたい。そのために先生は君たちに手を貸していこう。先生の力が少しでも君たちの役に立つなら、僕はすべてを投げ出してもいいと、そう心から思っているのです。うおぉ〜夕日に向かって誓うぞ〜。ウッ!血圧が……
 どうです。ふざけてばかりいると思った文章が、最後はこういうまじめで感動的な(?)まとめになるのである。光合成をネタにして、そのうえ清水義範の文体を模倣して、これだけの作文を仕上げたのである。原稿用紙十枚はこえているはずである。何?カッコを使っての脱線ばかりで水増しや底上げをしてるじゃないか。本当はもっと短くてすむぞって。そんな意見には耳をかさないのである。それはそれで立派なテクニックなのだ。
 先生は君たちより少しだけ長く生きているから
(ホンの少しですよ。蟻さんのするウンチくらいに少しだけですよ。)この程度の作文はすぐできちゃうのである。なんならこんな戲文ではなくて、光合成をネタに恋愛論を書いたり、文明批評したりだってできるのですよ。本当だぞ。本当に本当だぞ。本当にできるんだけど、今回はやめておいてやるのだ。コラッそこ!その疑いの目つきはやめなさい。それから「なんだちっとも光合成をネタにしていないじゃないか」とか「ヘタクソな文章に長々とつきあわせやがって」というような意見は、グサリ!ブサリ!と、先生を傷つけてしまうので、前にも書いたように、思っても口に出さないのが優しさなのである。
 最後に、この文章に書かれていることはすべてフィクションであり、登場する人物・団体等もすべて架空ものである。その上内容の信憑性にも責任は持たない。
(了)
                                
目次へ戻る   次の節へ進む