『文藝春秋』生活の中の仏教語
 四苦
 
 「一切皆苦」といい、「苦集滅道」といい、世の中は苦に満ちたものであるというのが、仏教の基本的な考え方である。だからこそ人は解脱を求め、涅槃を願うのだと言っても過言ではない。また王族の子として生を受けた釈尊が、王城の四方の門外で「生老病死」に苦しむ人々に出会い、それを契機として出家の道へ身を投ずるという話は、「四門出遊」「四門遊観」の故事としてよく知られている。この釈尊の出会った生老病死の四つが仏教でいう四苦である。
 この春ふた月ほどの間を入院病棟で過ごすことを余儀なくされたが、そここそはまさにこの四苦が集約的に存在する場所であった。病で苦しむ人はもちろんのこと、入院患者の中になんとお年寄りの多かったことか、一人では歩くこともままならず、食事も排便もすべてひとつベットの中で済まさねばならぬ人々、そして僅かふた月の間にいったい何人の死に出会っただろう。またたとえ一、二週間の入院であっても、なかにはその検査、治療にはひどい苦痛を伴うものもある。平穏な日常とは切り離された、苦に満ちあふれた時間がそこには流れている。
 かつて釈尊は、こうした生老病死に苦しむ人々を済うべく、王族の身分を捨て修行の道へと踏み出した。同様に入院病棟には、病の、肉体の苦しみを除こうと務める医者が存在する。しかし日々患者の心を支え、苦を除こうとしているのは医者ばかりではない。洗顔、食事、排便、散歩、入浴、寒ければ毛布を、熱が出れば氷枕を、叱り、励まし、愚痴を聞き、我が儘をなだめ、時にはいわれなき非難にさらされ、本来の医療行為とはかけ離れたこうした幾多の役割を担う看護婦たち。彼女たちの心のうちにある思いは、かつて王城の門外で釈尊が抱いた思いとなんの違いがあるだろう。そういう意味では、医療現場で働く彼ら、彼女らは、仏法の道に一番近い所にいると言えるのではないだろうか。
 自らの四苦にすらうまく対処できない身で、そんなことを考えさせられた入院生活であった。
(1998年8月号所収)

 菩薩
 
 寺院や美術館などで、釈迦如来の両脇に脇士仏がともに描かれた三尊形式の仏像や仏画をよく目にすることがあると思うが、この脇士こそが代表的な菩薩の姿である。
 右側に白象ー驚くことに左右に三本づつ牙を持つ、六牙の白象という象の王ーに坐した方が、「理」を象徴した普賢菩薩、左側に獅子に乗った姿で描かれるのが文殊菩薩、「三人寄れば文殊の智恵」と言われるように
「智」を体現した菩薩である。ともに釈尊のそばにあって、その布教の手助けをする存在である。この二菩薩は、観音菩薩とともに古来大変多くの信仰を集めた菩薩である。
 そもそもこの菩薩とはサンスクリット語の「ボーディサットバ」の音訳で、正確には「菩提薩●」と訳される。よく使われる言葉ではあるが、その意味するところは時代や人により様々で、正確に定義するのは容易ではない。もっとも一般的には、「悟りを求める人」と訳す。 
 しかし、ただ単に自らの悟りを求めるだけではなく、広く衆生の悟りの手助けをする人、人々の救済に懸命になって、みずからの身をすり減らすような人、そうした人がよく菩薩と呼ばれる。
 また悟りを得た人を仏とするなら、菩薩とは仏に至る過程にある者をいう言葉でもある。そういう意味で釈尊の前世、前身を菩薩と称することもある。しかし、菩薩とは決して出家した求道者だけを指す言葉ではなく、むしろ在家の者に対しよく使われる。そうしたこともあって「山口百恵は菩薩である」などという言い方もされるのであろう。
 いずれにしろ、あまりに完璧すぎて近寄りがたい仏に比べて、菩薩はある種の不完全さを持つため、人々にとってどこか親しみの持てる、身近な存在であり、みずからが憧れ、あやからんとするには格好の存在であったと言えよう。それゆえ人々の信仰を集め、多くの仏像や絵画に描かれ続けてきたのである。
 そして今でも、誰のそばにも、悟りへの手をさしのべ、時には厳しく、そして優しく導いてくれる菩薩のような存在がいるはずである。
(1998年11月号所収)

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