『文藝春秋』生活の中の仏教語
 居士
 
 日本では、鬼籍に入られた人々に対して「○○居士」というような戒名をつけるという風習がある。そもそもこの戒名という風習は、中国儒教の諡の習慣にもとづくもので、元来仏教の習わしではないとも言われる。それ故にわれわれ真宗には、戒名というものは存在しない。では、この戒名に用いられる居士とはいかなる存在なのであろうか。
 サンスクリット語でグリハパティ、中国では漢字で音写して「迦羅越」、その「財に居る者(資産家)」の意から居士と意訳された言葉なのであるが、やがて中国では、家に居て(出家せずに)仏道に帰依し修行する者、在家の信者の意味となる。
 中国の知識人たちは、この居士という言葉・存在にみずからの仏教信者としての在るべき姿を見出すようになる。唐の李白は青蓮居士と、白楽天は香山居士と、宋の蘇軾は東坡居士と号した。言うまでもないことだが、これらはけして死後誰かに付された名ではない。李白や蘇軾がみずから号したものである。
 実は、彼らが居士と名のった背景には、一人の居士に対する強い憧憬があったといわれる。その名はヴィマラキールティ。維摩詰(維摩羅詰)といった方が馴染みがあるかもしれない。初期大乗経典の中でも比較的古い時期に成立としたといわれる『維摩経』の主人公である。この『維摩経』は中国の知識人に盛んに読まれただけではなく、我が国でも聖徳太子がその注釈を書いたことでも知られる経典でもある。仏陀の要請で維摩詰の病気見舞いに訪れた、智慧第一といわれる文殊師利菩薩。その文殊菩薩を初めとする諸々の菩薩たちを向こうに回し、在家の身でありながら仏法の問答を繰り広げる維摩詰。その姿に中国の士大夫たちは魅せられ、自分たちの理想像を投影したのであろう。
 家を捨て、俗世を避け、一意専心、仏道に身も心も捧げるだけが仏教者としての在り方ではない。家に居て俗世にありながら、なおかつ一個の仏教者としても在り続けることができる。まさに居士とは死者に与えられる名ではなく、生きてあるべき在家者の姿だと、李白や蘇軾の名のりは我々に教えているのではないだろうか。
(1998年12月号所収)

 
 
 「愛」難しい言葉である。
 われわれは、愛を絶対・至高のものと考えがちである。キリストは「汝の隣人を愛せ」と言い、孔子の説いた「仁」もまた愛であり、テレビは「愛は地球を救う」と叫ぶ。しかし、彼らと違って、釈尊は愛は苦だと説き、悟りへの障碍物と教える。
 釈尊は、妻を捨て、子を捨て、家を捨てて出家の道に身を投じた。それはまた愛を切り捨てることでもあった。愛は深ければ深いほど、切り捨てる時の苦悩もより強い。その強い苦悩を知っているからこそ釈尊は愛を苦ととらえたとも考えられる。 また愛という言葉自体は本来素晴らしい言葉ではあるのだが、われわれ凡夫の愛の裏側には、常に区別の思いが隠れている。わが子を愛する心の裏には、わが子とよその子を区別する心があるように、何かを愛するという心の裏には、別の何かは愛さないという心が潜んでいる。愛国心という言葉が、時として危険性をはらむのはこのためである。そしてこの区別する心は、すぐに区別したものに対する執着の心を生み出す。この執着を背景に持つ愛は、単なる己の欲望充足のための愛である。
 そもそも仏教でいう愛とは、トリシュナーの訳語で、この欲望の充足を求める「渇愛」をいう言葉である。こういう凡夫の「愛」こそが悟りへの障害でもあり、円覚経という経典にいう「輪廻は愛を根本と為す。」の愛なのである。輪廻を脱するために、言いかえるなら解脱のために障碍となるような愛、釈尊自身こうした凡夫の愛を切り捨てることによって、より大きな深い愛へ近づこうとしたのかもしれない。
 たとえば飢えた獣の前に我が身を投げだしたという、本生譚に語られる愛。けして自己の欲望充足のためではない、生きとし生けるものに広く等しくそそがれる絶対平等、無差別の愛、「仏の慈悲」と名づけられたこの愛こそが、釈尊が求めた愛であったのだろう。
 また善人のみならず悪人にすら往生の可能性があると説いた、その背景にある我が親鸞の「愛」も、この愛であったように思われてならない。
(1999年3月号所収)

前の項目へ戻る     目次へ戻る   次の項目へ進む