三教指帰注集の研究 | |||||
第二章 「成安注」の写本三種について《5p》 | |||||
(「三、尊経閣文庫蔵本について」の続き) |
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以上の考察から「大谷本」・「尊経閣本」両本に見える頭注・脚注は、そのすべてを「大谷本」を書写した厳寛のものであるとすることはできなくなる。では、いったい誰の手によるものなのだろうか。考えられる可能性は二つあろう。一つは、施注者成安自身の増補であるという仮定。他の一つは、全く別の第三者の手によるものという仮定である。はたしていずれの仮説が妥当なのか結論を出すには、残されている資料が余りにも少なく、不可能であるといってよい。しかし、可能な範囲での仮説を打ち立てておくことは、今後の研究のためにも有用であろう。三種の写本の間には、次に図示するようないくつかの関係が考えられる。 《諸注および成安写本関係想定表》
*諸本の間をつなぐ線は、その流れを示したものであり、必ずしもB本がA本を書写したものであるというような直接の関係を示したものではない。各図のうち1図に示した関係は、前に挙げたような注文の異同から考えて成立しない。2図の場合は、「尊経閣本」の成立の方が先行するという仮定であるが、やはり先に述べた誤写等の問題から成立しない。3図は「大谷本」が厳寛の自筆写本ではないと仮定した場合であるが、これも第一章で述べたように東寺観智院に残る『五大尊事』に見える厳寛の筆跡と「大谷本」のものが同一であることから成立しない。現在考えうる最も妥当な仮説は4図に示したものである。ただし、「勘注抄」の下巻部分及び「尊経閣本」の上・中巻部分が存在しない現在の段階では、あくまでもひとつの仮説である。 (この章終わり) | |||||
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