三教指帰注集の研究 | |
第二章 「成安注」の写本三種について《1p》 | |
一、写本三種について |
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前章でも述べたように、「大谷本成安注」と比較することによって、これまで実体のはっきりしなかった写本の幾つかが「成安注」であると判明した。一つは、天理図書館に所蔵されている建保六年の奥書きを持つ写本(以下「天理本」と略称する)である。この写本は、「大谷本」紹介以前は「覚明注」の一種ではないかと考えられており、また『弘法大師全集』(筑摩書房)第八巻では、注釈書一覧の項目ではなく、写本の項に挙げられ、「有注本」との但し書きが加えられているだけであった。この「天理本」が「成安注」の写本であることを指摘したのは、管見の及ぶところ上田正氏が最初である。すなわち、上田氏は「大谷本」・「天理本」の両者が同種の注であることを指摘され、『玉篇』の佚文研究に、これまでの「覚明注」ではなく、より資料的価値の高い「成安注」を用いるべきであるとの見解を示されている。(注1)上田氏の指摘以降、『玉篇』などの佚文研究者の多くは、この「大谷本」と「天理本」の二種を「成安注」の資料として用いてきたが、さらにもう一本「成安注」の写本が存在することが明らかになった。尊経閣文庫所蔵の写本(以下「尊経閣本」と略称する)がそれである。この抄本については太田次男氏の詳細な報告がある。(注2)その論文を発表された時点で、太田氏は「成安注」の写本であることには気づかれておらず、「覚明注」を下敷きにした注釈、ないしは当時の寺院における「一種の読み合わせの記録」ではないかと推測されていた。ところが、のちに太田氏より「この尊経閣本も成安注の一種ではないか」とのご教示をいただき、太田氏の手になる「尊経閣本」の翻刻と「大谷本」を比較検討し、また尊経閣文庫のご厚意により直接に原本を拝見する機会を得て、詳しく比較調査したところ、「成安注」の写本であることが判明した。 以下、現在までに確認された三種の写本について、その異同を明確にし、それぞれがどのような特色を持ち、また本の間にどのような関係が考えられるのか考察していくことにする。 |
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二、「天理図書館蔵本」について |
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天理大学付属図書館に所蔵されている建保六年写本については、先にも述べたように上田正氏の指摘以前は「成安注」であることが知られていなかった写本である。「天理本」は中・下巻のみ三十七葉ほどの写本であり、表紙の表題にも単に「三ヘ指帰中並下」と記されているだけであり、「成安注」であることを示すような記載は一切見られない。巻末には、次に挙げられるような写本の年次と、この書写の功徳力によって極楽に生ぜんことを願う旨の忠尊なる人物による識語が見られるだけである。 建保六年歳次戉寅仲冬第四居生年卅七□了 心不染名利偏爲後背也取毫孫願云 □以書寫功徳力臨終正念生極楽 僧忠尊ヘ林房替文 (建保六年→一二一八年) この書写の年次から、「天理本」は大谷本より八十年ほどあとのものであることがわかる。その内容については二、三の字句の異同を除いて「大谷本」に一致し、「成安注」の写本であることは明らかである。しかし、その注釈の形態に大きな違いがある。それは、大谷本が『三ヘ指記』の本文・注文の先頭には必ず「注云」の二字を冠しているのに対し、「天理本」では注文が小字による双行割注形式をとっており、注文の頭に「注云」の二字を冠することもしていない。この注釈形式の違いが何に由来するのか、つまり「天理本」の形式と「大谷本」の形式の何れがより原本に近いものなのか、即断することはできないが、後に述べる「尊経閣本」は「大谷本」と同様な形式を取っており、また「天理本」は全体的に粗略な傾向を持つことから、「大谷本」・「尊経閣本」の形式がより原本に近いものと考えられる。 また、「大谷本」には詳細な訓点(ヲコト点・声点を含む)が施されているが、「天理本」ではヲコト点・声点はほとんど見られず、注文にわずかな送り仮名が施されている程度である。 さらに、「天理本」と「大谷本」の重大な違いの一つは、「大谷本」に見られる頭注・脚注が「天理本」には一切見られないという点である。「天理本」を書写した忠尊が見た「成安注」自体にまったく頭注・脚注が存在しなかったものか、あるいは存在したにもかかわらず、書写の段階で省略したものか明らかではないが、この頭注・脚注を持たない「天理本」のような「成安注」が存在することは、「成安注」の異本問題を考えるうえで重要な意味を持つであろう。 | |
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【注釈】 注1 上田正「玉篇佚文論考」(「訓点語と訓点資料」第七十三集) 注2 太田次男「尊経閣文庫蔵・『注三教指帰』鎌倉鈔本について」(『成田山仏教研究所紀要』八) |