『列仙全伝』:研究(一) |
第四節 『列仙全伝』の新出依拠資料《16p》 |
4-2 『広列仙伝』について |
まず、『広列仙伝』の全体の構成を述べておくことにしよう。『広列仙伝』では、巻頭の序文のあとに「採輯群書書目」が四葉にわたって記されている。
これも前号で述べたことであるが、『列仙全伝』の価値を貶めている大きな要因のひとつは、各仙人伝の典拠が明らかにされていないという点にあった。
しかしこの『広列仙伝』は、目録の前にこの「採輯群書書目」が置かれていて、その書目には『列仙伝』『神仙伝』を初めとして『荘子』『列子』
『呂氏春秋』といった諸子類や『史記』『漢書』新・旧『唐書』のような正史類、『終南山志』『少室山志』等の地誌類、更には『芸文類衆』や
『太平広記』のような類書に至るまで五十六種にも及ぶ各種の依拠資料の名が並んでいる。(注43)また一部には
頭注として依拠した書物が何であるかが書き込まれてもいる。例えば東王公の伝の頭注には「出神異経」とあり、その典拠が明確にされている。
仮に序文だけではなく、伝記本文自体も汪雲鵬が『広列仙伝』より剽窃して多少手を加える程度で『列仙全伝』に仕立て上げているとしたら、
これまでの典拠が明確でないという『列仙全伝』に対する指摘は覆されることになろう。(『広列仙伝』と『列仙全伝』の全ての伝記内容についての
比較はいまだ終了していないが、可能な範囲での比較対照については項を改めて詳しく述べる。) とりあえず全体の構成に話を戻そう。「採輯群書書目」に続いて「廣列仙傳目録」が始まる。巻一は老子から始まって白石生まで七十二名の名が 記されているが、途中の韓崇という人物の伝記は正伝ではなく、その前の王■(王へんに韋)玄の附伝である。『列仙全伝』もそうであったが、目録 中において正伝と附伝の区別は至極曖昧である。巻一において、今の韓崇の伝とは別に姜若春の伝記はきちんと宛丘先生の名前のあとに小字で 附姜若春と書かれている。また立伝されている人物の順序についても『列仙全伝』とは大きく食い違う。これは『広列仙伝』が三百余名の 立伝数であるのに対し、『列仙全伝』の方はそれをはるかに回る五百名程の人物が立伝されているところにも原因があるだろう。 この立伝数だけから考えるなら、汪雲鵬は単純に『広列仙伝』を剽窃したのではなく、大幅に加筆・増補しているということになる。 続いて巻二は、安期生から子英まで六十二名(附伝かどうかは考慮に入れず、記名されている仙人名の数のみを挙げる。また黄子明とあるのは 黄子陽の誤りと思われる。)、巻三は王喬から藍采和まで三十五名、巻四は葛玄から鄭思遠まで三十六名、巻五は陶弘景から伊祁玄解まで四十名、 巻六は呂巖から薩守堅まで二十一名(筆者が本文と対照してみたところ、目録では韓湘子の後に江叟が脱落しており、また目録では附伝となっている 徐彎も附伝ではなく正伝である。)、巻七は陳楠から赤肚子まで三十名であり、途中石坦・孔元の二名の名が抜けており、さらに昌季は洪志の誤りで あろうと思われる。さらに最後に王世貞撰の王曇陽のための長文の伝が附されている。この王世貞撰の王曇陽の伝は『列仙全伝』にも見えないものである。 (注44)以上七巻、序によれば三百四十名が『広列仙伝』に収められている仙人の全体像である。 ただ先にも述べたように、この目録は正伝と附伝との区別が曖昧であり、筆者が実際に調査してみたところ、目録では数名の名が抜け落ちていたり、 本来は附伝であるのに正伝として立名されている例なども見受けられる。正確な人数は別として、『列仙全伝』の九巻五百余名よりは大幅に人数が 欠けることは確かである。逆に『広列仙伝』に名前がありながら『列仙全伝』には伝のないものは、最後の王曇陽以外には、 巻五の申元之と巻六の薛道光の二名だけである。 もうひとつ『列仙全伝』との大きな違いは、絵像が全く附されていないということである。 |
[注釈] 4-2 注43 『中華道教大事典』(中国社会科学出版・一九九五年)の解説には「書前列『彩輯群書書目』、凡例書五十五種」(本文は簡体字)と 記されている。 注44 この王曇陽については詳しいことは明らかに得ていないが、『中華道教大事典』(前注参)で劉仲字氏は「王爲明代女仙、有王世貞撰其傅。 在明代新出神仙傅記中、此爲較重要的一種。」と記している。 |
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