『列仙全伝』:研究(一) |
第四節 『列仙全伝』の新出依拠資料《15p》 |
4-1 新出資料の発見 |
前号より本号第三章までに発表した「『列仙全伝』研究」の脱稿直後、道蔵に収所される以外の各種の仙伝類を渉猟していたところ、『蔵外道書』および
『中国民間資料彙編』中に所収されている『広列仙伝』という一書に目が止まった。(注42)この書は明少谷山人張文介という
人物による撰であり、巻頭の序文の末尾には「萬暦十一年癸未夏六月吉」という日付が記されている。この張文介という人物がいかなる経歴をもった人物なのか
現在のところ一切明らかではない。しかし、この万暦十一(一五八三)年という年記は非常に重要な意味をもつ。すなわち『列仙全伝』の刊行年、万暦二十八(一六〇〇)年
より先行するのである。 その序文は次のような書き出しで始まっている。 廣列仙傳序 明少谷山人張文介撰この序文は、まさに李攀龍撰汪雲鵬書として『列仙全伝』の巻頭に附されているものと同文なのである。序文全体を対照してみたところ、ただ一ヵ所「介」 (『広列仙伝』)の字が「龍」(『列仙全伝』)に代えられているだけであった。また、『広列仙伝』では「共得三百四人合而梓之、名曰廣列仙傳」 (傍線筆者)と記されている部分が、『列仙全伝』では「共得四百九十七人合而梓之、名曰列仙全傳」(傍線筆者)と書き換えられている。 前号において述べたように『列仙全伝』の序文が李攀龍の手になるということについては、既に何人かの先人によって疑義が呈せられていた。しかし『列仙全伝』に 先行するこの『広列仙伝』の序文の存在が明らかになったことで、恐らくは書賈汪雲鵬がその一部を書き換えて李攀龍の名を冠したものだと結論できるであろう。 『列仙全伝』という書名自体も『広列仙伝』を少しくもじったものである。また、この『広列仙伝』の末尾には王曇陽という明代の女仙の伝が附されているのだが、 その伝記の前には「鳳洲王世貞撰文」と記されており、汪雲鵬が『列仙全伝』全体の撰者として王世貞の名を冠することにしたヒントがここにあったのであろうとも 推測される。そこで急遽今回この第四章を付け加えることとした次第である。 |
[注釈] 4-1 注42 『蔵外道書』海外版 巴蜀出版社 一九九二年 第十八冊傅記神仙類所収 『中国民間資料彙編』 第一輯−5所収 台湾学生書局 一九八九年 注二〇 『中華道教大事典』(中国社会科学出版・一九九五年)の解説には「書前列『彩輯群書書目』、凡例書五十五種」(本文は簡体字)と記されている。 注二一 この王曇陽については詳しいことは明らかに得ていないが、『中華道教大事典』(前注参)で劉仲字氏は「王爲明代女仙、有王世貞撰其傅。在明代新出神仙傅記中、此爲較重要的一種。」と記している。 |
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