『列仙全伝』:研究(一) |
第三節 『三才図会』人物編仙伝類について《14p》 |
3-2 『三才図会』の依拠資料 |
そこで、候補と思われる三書と『三才図会』の立伝数について考えてみよう。『三才図会』には六十三名の仙人の伝記が収められている。 この六十三名という人数は、道蔵本『消揺墟経』が立伝する人数と全く同数である。(道蔵本「消揺墟経」の元となった『仙佛奇踪(蹤)』の立伝数については 問題があることは前号五十二頁で述べたので参照していただきたい。)従ってまた、六十三名すべての伝記は『列仙全伝』にも立伝されていることになる。 次に『三才図会』に収められている仙人の伝記本文を他の先行書と比較してみた。その全体におよぶ結果は巻末の表2を参照していただきたい。それを元に、 ここでは結論のみを述べることにする。全文にわたる比較校勘を行った結果、全六十三名のうち『消揺墟経』と全く同文であるものは三十六名であり、 節録して立伝されている人物は二十七名であった。この人数から考えると、とりあえず『三才図会』は『消揺墟経』に拠っているものと判断できる。 さらには『列仙全伝』との関係も考えられるので、より詳しい分析をしてみた。すなわち『列仙全伝』『消揺墟経』『三才図会』という成立年次の順序で 内容がどう変化しているかを検討してみたところ、三者ともに全く同文であるものが二十三例、次第に短くなるものが二十四例、『列仙全伝』から『消揺墟経』へは 節録され『三才図会』へは同文で転載されているもの十三例、『列仙全伝』と『消揺墟経』は同文であるが『三才図会』へ転載される際に節録されたと 思われるもの二例、更に前号でも紹介した『列仙全伝』と『消揺墟経』が全く異なる馬成子の伝についても、『三才図会』は『消揺墟経』と全く同文であった。 以上の分析の結果、指摘できることは『三才図会』は明らかに先行する『列仙全伝』や『消揺墟経』を粉本としているということである。最後の馬成子の例から 考えるなら、たった一例ではあるが、『列仙全伝』と『三才図会』は異なるということになり、むしろ『消揺墟経』に依拠して多少の節略を行った結果成立した ものだと考えた方が妥当である。(当然『消揺墟経』の元になった『仙佛奇踪(蹤)』の方に依拠した可能性も考えられる。) 続いてもうひとつ『三才図会』に附されている絵像についても検討を加える必要があろう。しかし続道蔵に収載されている『消揺墟経』には絵像が 附されていない。そこで、四庫本『仙佛奇踪』に附されている絵像との比較をせざるを得ない。ちなみにあわせて『列仙全伝』に附されている絵像との比較も 行ってみた。その結果は巻末の表3【諸本図像比較表】を御覧いただきたい。仙伝類に附された絵像に関してのより詳細な研究結果は稿を別にして報告するつもりで あり、ここでは『三才図会』に関する点だけ報告する。四庫本「消揺墟」に附された絵像はその描かれているテーマ自体は半数以上が『列仙全伝』と 同じであるが、細かな点では描き方の異なるものが多い。しかしそこには明らかな影響関係を見て取ることができる。一方、今問題となっている『三才図会』に 附された絵像は、四庫本に比較すべき絵像のない数例を除いて、まったく同一と言って良いものなのである。勿論、画工によると思われる微妙な差異は存在するが、 明らかに模倣というより剽窃と言い得る程の類似性を示している。 以上のように伝記本文上から見ても絵像上から見ても、『三才図会』は「消揺墟」を粉本としていることは間違いのない事実である。ただ問題なのは、 伝記本文が道蔵本『消揺墟経』と同一であるが、道蔵本には全く絵像が附されておらず、絵像が同一な四庫本「消揺墟」とは立伝人数など伝記本文の方に 多少差異があるという矛盾をどう考えるかということである。例えば、伝記本文は道蔵本を参照し、絵像は四庫本のようなものを参照するというような手間の かかることをあえてしたのだろうか。あるいはまた、未だ我々の知り得ない道蔵本や四庫本とは別の「消揺墟」が存在してそれを参照したのだろうか。 この問題については、今のところ筆者にはいずれとも断ずる根拠を見出せないでいる。 |
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