『列仙全伝』:研究(一) | |
第一節 『列仙全伝』について《3p》 | |
1-3 『列仙全伝』の存在意義とその評価 |
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このような利用のされ方にこそ、実は『列仙全伝』の価値が表れていると言える。先ほどから筆者は『列仙全伝』と称しているが、 実は『有象列仙全伝』と呼ぶのが正しい呼称であり、この書を出版した書賈・汪雲鵬の狙いもまたこの有象≠ニいう点にあると考えられる。 上海古籍出版社の「中国古代版画叢刊」に収められている「列仙全伝後記」によると、汪雲鵬なる人物は明の万暦年間(一五七三〜一六一九年) に徽州で活動した書賈の一人であり、その書舗の名は「玩虎軒」という。特に注目すべきは、彼は多くの挿絵入りの書籍や通俗的な戯曲を出版して いるという点である。(注13) | |
宋代に発明された印刷術と、やはり宋代以降に様々な場面で力をもち、 その影響力の無視できなくなった市民層の台頭という社会状況を機敏に捉え、書賈としての経営能力――簡単に言ってしまえば、今人々が何を欲し、
何が売れるかを的確に見通す能力――とを背景にして、この『有象列仙全伝』という書が生み出されたのである。 現代日本の出版界においても、ビジュアル化というのは大きなテーマであり、先程述べた日本での利用のされ方は、四百年前書賈汪雲鵬が 意図したであろうことにまさしく合致しているのである。 |
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しかし、ある意味でその絵像ばかりが注目されるということは、 書物としてはひとつの不幸を背負い込むことでもある。「通俗的である」「学問的に信用がおけない」等の評価の幾分かは、この「有像」 という点にその要因のひとつを求めることができる。確かに『列仙全伝』は荒唐無稽な部分が目立ち、他の仙伝類とは異なった記事も多く存在する。 しかし、別の見方をするなら、他の仙伝類と内容を異にする点にこそ、この『列仙全伝』の持つもうひとつの価値があるともいえる。たとえば 類書のひとつではあるが、仙伝関係の重要な佚書、佚文を含むことで知られる『太平廣記』については次のようなことが言われている。 (注14)
このような、御覧と廣記の編纂上の相違は既に談トによつて、 |
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こうして考えてみると、確かに出典が明記されていないという点に問題はあるが (『歴世真仙體道通鑑』も実は明記していない)、ある意味広記のように「野史、小説等のいわばアウトロー文献」に拠って作られている書物で あるという点にこそ、価値を見出す必要があるのではないだろうか。 | |
前にも述べたように、時代を経るごとに個々の仙人伝には伝説化・神格化が激しく なるという特徴があり、そこにこそ中国の民衆が追い求めたものが率直に表れているのとも言えるのではないだろうか。この時代とともに変化 していく仙人伝の変移の跡をたどり、しいては道教がいかに変容していったかを知る上でも、この『列仙全伝』という書物は格好の資料である ということができる。 | |
そうした意図のもと、筆者は大学における演習の授業で、ここ数年『列仙全伝』
に収められた仙人伝の変容状態を探り、他の仙伝類との比較検討を進めてきた。その成果(仙人伝の比較にとどまらず、各仙人伝の所在を明らかに
する索引の整理も含まれる)も追い追い公にしていく予定ではあるが、今回はその研究の過程で知り得た『列仙全伝』と「続道蔵」にも集載
されている『消揺墟経』、更にはほぼ同時代に編纂された『三才図会』との関係について、論じることとしたい。 [注釈] 1ー3 注13 中国古代版画叢刊(三)所収『列仙全伝』 上海古籍出版社 後記 汪雲鵬是萬暦年間徽州的一個書賣,他的書舗名「玩虎軒」,刻了許多有精美挿圖的書籍和通俗戲曲。據今所知,尚有「出相元本琵琶記」、「紅拂記」(見「西諦所藏善本戲曲目録」第三――四葉)及「養正圖解」(見「劫中得書續記」八十八頁等。) 注14 山田利明「太平廣記神仙類卷第配列の一考察」東方宗教』四十三 一九七四年 三十〜五十頁) |
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