中国の図像を読む
第五節 ブリキの金魚と金魚のギョウザ。《1p》
  一、日本の金魚
 夏……。夏といえば夏祭りである。ゆかた、綿菓子、かき氷、肝試しのお化け屋敷、射的場。そして、金魚すくい。夏祭りに金魚すくいが行われるようになったのは、いったいいつの頃からなのだろう。 くわしいことは明らかではないようだが、既に幕末の頃には金魚売りもあらわれ、夏の風物詩としてなくてはならない存在となっていたらしい。(注@) あまり知られていないことであるが、この金魚のルーツは、実は中国にある。(注A)それゆえ中国人も日本人に劣らず、金魚が好きなのだ。 しかし、中国人と日本人の金魚に対する思い入れには、いささか違いがあるように思われる。金魚については、多くの研究書もあり、ここで屋上屋を架すようなまねは避けるが、 この中国と日本の金魚觀の相違についてだけは、ぜひ述べておかなければならない。
 『金魚グラフィティ』(注B)という本には、金魚にまつわる日本の様々な事物が紹介されているが、それらにはある共通した特徴があるように思われる。それは第一に、 日本においては、金魚と言えば夏。なのである。 例えば、デパートをのぞいてみると良い。人々の暮らし、現代の庶民文化を探るにはデパートへ行くのが一番である。晩春から初夏にかけて、デパートは夏を先取りしたモノたちで溢れかえっている。 そんな夏向けの商品の中に、きっと多くの金魚が泳ぎ廻っているのを見つけだすことができるだろう。一例をご覧いただこう。一図は、説明の必要もないであろうが、 幼児むけのブリキでできた水遊びグッズである。これ以外にも、女性用の髪留めやハンカチ……筆者の部屋には、金魚を型どった蚊取線香入れやこぶし大ほどもある金魚型風鈴などが夏を待って揺れている

               

                              一図
                            ブリキの玩具
                           『金魚グラフィティ

  江戸時代の版画などを見ても、多くは夏の夕涼みの点景として金魚が描かれる。浴衣を着てうちわを持ち、床几に座したり、池の端にしゃがみこんで、金魚の泳ぐ姿を眺める美女という図がほとんどである。(二図
 
               二図A                              二図B
             揚州版画(明治期)                 「二十四孝見立画合」周延版画

 あるいは、宝くじの図案などにもよく金魚が用いられているのだが、その発効日を注意してみてみると、ほとんどが例外なく七、八月なのである。(注C)(三図

  
      三図 宝くじにデザインされた金魚                   四図 伊万里焼の杯洗

 ことほど左様に金魚が夏と結びつくのは、決していわれのないことではない。金魚は、いうまでもなく水棲生物であり、なおかつその形態や色を楽しむ目的で人々に飼われ、それゆえ透明のガラスケース……金魚鉢をその住みかと宿命づけられている。水にしろ、透き通った金魚鉢にしろ、人々に与える印象は、冷たく清涼感の溢れるものである。むし暑い夏の暑気払いの道具としては、これほどぴったりのものはないであろう。
 この水との関係という点に着目すると、金魚の意匠が用いられているものたちのもう一つの共通点が浮かび上がる。それは、陶磁器などの染付け模様などに用いられることが多いということである。鉢や杯はもちろんのこと、おもに透き通った水を入れる杯洗などの内側紋様として好んで使われている。(四図)せっかく内側に金魚紋をデザインしても、味噌汁のような不透明なものを入れたのでは、せっかくの模様の美しさがだいなしである。
 もう一度、改めていっておこう。日本における金魚は、水の連想から夏の風物であり、人々はその姿の美しさ・形態を好んで用いるのである。


【注釈】
@『金魚グラフィティ』光琳社出版 昭和61年
A 今から一五〇〇年〜一六〇〇年前、中国の揚子江沿岸近くの盧山で色の変わったフナが発見された。珍しいものとして捕獲し、泉池で飼育したものと言われている。やがて北宋(十世紀)の時代になると盛んに飼育され、色々な品種が人為的に作り出されたのが今日の金魚であると伝えられている。
                                     (『中国大百科全書』より)
B『金魚グラフィティ』光琳社出版 昭和61年  また次の書にも豊富な金魚に関する図版を載せる。
 『Kingyo きんぎょ』ピエ・ブックス 2003年
C『金魚グラフィティ』光琳社出版 昭和61年 頁九十六参照
 
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