中国の図像を読む
第五節 ブリキの金魚と金魚のギョウザ。《2p》
 
 二、中国の金魚
 さて一方、中国ではどうであろう。近年では、やはり日本と同様夏に見られることも多いようだが、日本ほど夏という季節にかたよった用いられ方はしていない。例えば、五図をご覧いただこう。可愛らしいというよりは、グロテスクなこの金魚は、中国の凧に図案化されたものである。あるいは、六図をご覧いただきたい。これは、金魚の形を模した餃子である。特におめでたいことがあった時などに作られるということで、特に夏に良く作られるというものではない。(注D七図に挙げた金魚灯は、正月十五日の灯節に用いられる提灯である。こうしたものも、いっさい夏という季節とは関わりがない。より決定的な例をあげよう。八図にあげたものは中国の年画である。さらに場所によっては、お正月に金魚市の立つこともあるという。中国では、金魚の季節は夏ではなく、むしろ正月なのである。では、日本は夏、中国は正月という、この違いは一体どこから来るのだろう。

        
       五図 『中国の凧』より             六図 金魚の餃子(ネットショッピングより)


 
         七図A 金魚灯                              七図B 切り紙の金魚
    『中国庶民生活誌 裏町春秋』より                     『中国の民間切り紙芸術』より

   
         七図C 金魚の玩具
      『中国のかわいいおもちゃ』より

 
       八図A 中国の年画                          八図B 中国の年画
          「蓮年有餘」                            『中国吉祥百図』より

 そもそも中国人にとって金魚とは、まさに金の魚なのである。たとえば八図にあげた年画には丸々と太った子供と蓮の花、そして金魚が描かれている。蓮の花は前節でも述べたように女性の象徴であり、女性は生産と豊饒を暗示する。また「蓮」の音は「連」に通じ、次々と限りなくという連想をも呼び起こす。こうした豊かさのイメージを内蔵する蓮に加えて、はちきれんばかりにふくよかな子供が描かれるこれらの図像は、すべて豊饒の希求という一点に集約する。
 そして、金魚もまた、これらと同様の働きをするのである。金魚の「金」という文字はもちろんのこと、魚紋のところでも述べたように「魚」という文字は「余」という文字に通じて、豊かさを表し、「金魚」(jinnyu)という言葉は、そのまま直接「金玉」(jinnyu)を連想させる。このように中国人にとっては、金魚は決して単なる可愛らしい魚などではなく、まさに金玉のような宝をイメージさせる生き物なのである。
 ある日本人は、中国人のこの日本人の感覚とはかけ離れた金魚好きに驚き、次のようなエッセイを残している。(注E
 その香港人ディーラーは胸に大きな翡翠のペンダントをしていた。…略…その彼が、ディーリング・ルームで金魚を飼っているという話をし始めた。「黒の出目金一匹に、赤の金魚三、四匹……」と語る目は真剣そのもの。金魚は金運を呼ぶ、金魚の数は決まっていて……と話は延々と続いた。
 …略…
 考え方も欧米に近い。まあ、そういう人でも、心無い日本人ディーラーが鯰に金魚を餌として与えていたときには、さすがに「金魚はお金の魚」と叫んでいたけれど……。
 …略…
香港上海銀行は旧正月に金魚鉢大写しのポスターを配り、ビルを建てるときにも風水師に相当な金をつぎこんだそうだ。
 日本人はその清涼感から夏を象徴する生き物として金魚を愛し、あまり財福や豊饒といったイメージを抱くことはない。いわば、日本人の金魚愛好は、その可愛らしさと水という外的要因によるものであり、一方、中国人は、外面的な可愛らしさは言ってみれば二次的意味しか持たず、それよりもむしろ、金魚という言葉自体に内在している財福や豊饒といった象徴性のほうをより重視して、金魚をいわゆる吉祥物としてとらえているのである。中国にその源をもち、早い時期に日本に伝わり、中国人以上に愛されてきた金魚であるが、その言葉のもつ音が相違したために、両国でのとらえ方にこれほどの違いが生じたとも言える。中国の吉祥物における音の果たす役割の大きさをこの金魚の例はよく表している。   (了)

【注釈】
D『釣魚合國賓館美食集錦』主婦と生活者頁二五九
E「香港ディーラーは金魚がお好き?」橋本映理(『月刊しにか』一九九三年六月号所収)
 
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