中国の図像を読む | |
第三節 魚紋アレコレ。《4p》 | |
三、鯉は龍の子供だった?(鯉魚紋) |
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(一)登龍門 | |
前章でも見たとおり、中国では古代から双魚紋に代表されるような様々な魚紋様が愛用
されてきている。そうした魚紋様の中でも、一種独特なもののひとつに、鯉魚を図案化した紋様がある。この鯉という魚は、中国そして
日本においても実に多様なイメージ・象徴性を担った魚である。当然他の魚同様、多産・豊饒のイメージを有するのは言うまでもないことだが、
それにもまして鯉といえば「龍門の故事」を第一に挙げなくてはならないだろう。 龍門とは山西省にある黄河上流の滝の名であるが、『太平御覧』には「三秦記」という本を引いて、この滝を登り上がった魚は化して龍になる という伝説を載せている。(注6) |
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辛氏三秦記曰、河津一名龍門……大魚?集門下數千、不得上、上則爲龍。 (辛氏三秦記に曰う、河津一名龍門……大魚門下に?り集うこと数千、上るを得ず、上れば則ち龍となる。)この話がいわゆる「登竜門」や「鯉の滝のぼり」あるいは日本の五月空の主役でもある鯉のぼりの淵源ともなった故事である。次に、 この故事に基づいた古今の吉祥図のいくつかを見てみることにしよう。 十二図中央に描かれたのが鯉魚であることは、その口の両端よりのびるヒゲにより明らかであるが、加えて、背景に三面の門が描かれているが、 本来の龍門にこのような門が在ろうはずもなく、龍門という地名を象徴的に表した図像表現の典型なのである。場合によっては、これにかえて 十四図にあるように激しく流れ落ちる滝を書き加える場合もある。 この種の鯉の図像のひとつの範例ともいうべき鯉の態形は、身をよじるようにして波間よりおどり出た躍動感溢れるものである。 その際に頭部は天を目ざしているのは当然のことであるが、むしろその尾部の描かれ方に着目する必要がある。頭部同様にこの尾も天にむけて くねらせ曲げた姿。これがまさに龍に変じようとする鯉の典型的なフォルムなのである。十二図に限らず、十三、十四、十五図ともに、 この龍門の故事にもとづいた図像はすべて同様な姿をとっている。特に十三図に見られる物は鯉の形に型どった明代の香炉であるが、 まさに登龍紋図像中の天へおどりあがらんとする鯉の姿をそのままにとり出したものであり、その頭部は鯉というよりむしろ龍への変貌を 漂わすかのように迫力に満ちたものである。こうした登龍門の図像の多くは、過去においては、科挙などへの登第を願い、また現代においても 出世等を祝う際の図案として用いられてきた歴史があり、立身などを願う紋様として現代でも各種の文物に使用されてきている。 この登龍門の故事が日本へ伝来して鯉のぼりに変化変容をとげることは先にも述べたが、韓国へも同様にこの故事や図像は伝来している。 その一例として「魚変成龍図」と題する図像を十五図に挙げよう。この図像のユニークな点は、まさに変成を遂げようとしている鯉の口に 一本一本の齒が描きこまれている点である。通常、鯉に限らず魚の図像表現の場合、一本一本のはなぞは描き込まれることはない。 この齒はおそらくリアリティーを求めてのものではなく、むしろこの鯉が魚類よりも獣類……龍に近い存在であることを示そうとしたための ものであると考えられる。すなわちこの齒の存在こそが、この鯉を単なる鯉ではなく、龍に変成する素要を持つ、いいかえるなら、 龍の幼体としての鯉であることを示す一種の役割をになっているように思われる。 前頁《3p》へ戻る 次頁《5p》へ続く 【注釈】 6、『太平御覧』巻九百三十 鱗介部二 龍下 |
十 二 図 『中国吉祥百図』より ↓ 十 四 図 「滝門騰鯉図」長崎市立博物館蔵 『正倉院の文様』より 十 三 図 ↑ 青花登竜門香炉 明代 『国立博物館図版目録』より 十 五 図 「魚変成竜図」 『韓国文様事典』より |