中国の図像を読む
第三節 魚紋アレコレ。《2p》

 二、子だくさんの魚たち。(雙魚紋)
 四図は遼寧省より出土した金製の、おそらくは女性用の耳環…… イヤリングである。ここにも見事に魚紋が意匠として利用されているが、この魚紋の尾を跳ね上げ、身をくねらせたフォルムを ぜひとも記憶しておいていただきたい。さらに五図に挙げるものは唐三彩の双魚型の壷である。これもなかなかにユニークで大胆な デザインであるが、中国では割合とよく目にするデザイン形態でもある。
 これらに見える「双魚」というのが、魚紋図像を解釈するときのひとつのキーワードと考えられる。そこで次に双魚紋の持つ意味を明らかにし、 更には魚紋が単なる意匠図案ではなく、一種の吉祥図案とも定義しうることを示そう。
 六図は漢代の銅製の洗盤の上に描かれたものであるが、注目すべきは二匹の魚……双魚紋の間に書き込まれている文字である。「君宜子孫」という 子孫の繁栄を祈念する四文字、これほど双魚紋に込められた人々の願いを端的に表した言葉はないであろう。中国人にとって、子孫の繁栄は 富貴や不老不死にも勝るほどの喜び、幸福であり、願いなのである。
 中国の大家族主義は周知のことでも有り、また、その祖先崇拝を中心とする宗族間の結びつきの強さは有名であるが、これらはすべて子孫の繁栄が あってこそ成り立つものである。なぜ中国人が一族・子孫の繁栄をことのほか願い、その一族間の根底理論「孝」を重視するのか。加地伸行氏は 次のように述べる。
 その結果、ここに一つの転換が起こる。自己の生命とは、実は父の生命であり、祖父の生命であり、さらに、実は遠くの祖先の生命と いうことになり、家系をずっと遡ることができることになる。いまここに自己があるということは、実は、百年前、確かに自分は生きていたことでも ある。いや、百年はおろか、千年前、一万年前、十万年前にも、ひいては生命のもとであったところまで遡って自己は確かに存在していたことになる のだ。それは、〈血脈〉あるいは〈血の鎖〉と言っていい。それとは対照的に一方では子孫・一族があり、百年先、千年先、一万年先と、 もし子孫・一族が続けば、自己は個体としては死ぬとしても、肉体の死後も子孫の生命との連続において生き続けることができることになる。(注3)

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四   図
魚形金耳環
(遼寧建省■碌科遼墓出土)
『中国歴代婦女妝飾』より
 

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五   図
三彩双魚形壷(唐代)
江蘇省揚州市出土
『中国の博物館』より
 

六   図
銅洗上的君宜子孫雙魚紋
(漢代)
 現実的欲望の充足を最大の幸福と考える中国人は、そのために永遠の生命を求める。 それはまた不死願望と言いかえてもよいかもしれない。しかし、現実の世界において文字通りの不老不死などということはそう容易には実現すべくも ない。そうした時人々にとって「子孫繁栄」こそが、その不死願望を充足させる、はなはだ現実的な方法なのである。「子孫の生命との連続において 生き続ける」とは、まさに頗る現実的な、そして中国的な不死願望実現の方策ではないか。かくして中国人は、太古の昔より熱心に子孫繁栄を祈念して きたのである。その際に人々の注意を引きつけたのは、他の陸上動物とは違って一度に多量の卵を産むという魚の持つ多産性である。この魚の多産性と 子孫繁栄とが結びつき、そのイメージをより効果的に表現するために雌雄一対の形で描いた図像が双魚紋なのである。すなわちこれは、単に魚が二匹 描かれている、対偶だけを意識した図像なのではないということになる。こうして、以後連綿と双魚紋は中国の文物に描き続けられる。
(この章続く)
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【注釈】
3、『儒教とは何か』加地伸行著 中公新書 頁二〇〜。