中国の図像を読む
第三節 魚紋アレコレ。《1p》

 一、中国の人面魚
 中国において各種文物の意匠として頻繁に用いられ、デザインされ続けてきた紋様の一つに 様々な魚紋様がある。この魚紋については、既に多くの人たちが研究、論考してきているので、ここではその要点のみを記し、 代表的な図像のいくつかについて紹介するにとどめよう。
  中国における魚紋の歴史を語るとき、各書が決まって引いてくる資料があるのだが、今回もその多くの先例にならうことにしよう。 一図に挙げる図像資料がそれである。これは紀元前三千年頃、中国では仰韶時代と呼ばれる旧石器時代末期から新石器時代にかけての 遺跡より発見されたものである。この図像で注意を引くのは、中央に描かれている人面である。人面とその両端に描かれた魚は、 古代人のどんな思いを我々に伝えようとしているのだろうか。そこに込められている思いを明確にすることは容易ではないが、ただ簡潔・素朴な 線描からは何とも言われぬほほえましさが漂ってくる。渡邊素舟氏はこうした人面魚紋の存在を「これは人間も魚と同じように水中を泳ぎ まわることが自由にできるという、人間の希望のアイデアを象ったものであろう。」と述べておられる(注1)。


一   図
半坡出土の鉢に描かれた
両耳が魚紋様の人面
 人面と魚といえば、もう一つ思い浮かぶ資料がある。大幅に時代は下るが、 七世紀頃のものと思われる考古学的遺物に二図に挙げるような不思議な俑がある。題して「紅陶人面魚身俑」。 いわゆる人面魚の俑である。以前日本でも人面魚騒動なるものが起こったが、七世紀に生きた中国人と現代の日本人、 遠く時間と空間を隔てた人々が共通した認識をもったということは、なかなかに興味深い現象ではないだろうか。人間は日々進歩している一方で、 その本性ともいうべき精神の深い所に宿るものは、いっこうに変化することがないのかも知れない。魚に限らずあらゆるものに対して人面を 見いだそうとする性癖が人間には本能的に備わっているという話を何かで読んだ覚えがあるが、こうした遺物類を目にすると、さもあらんと 思わずにはいられない。
  例えば三図にあげたものは、フランス人の描いた博物画に見えるものであるが、ここにおいても人間はクラゲの体に人面を幻視している。(注2) 日本でもカニの甲羅に人面を見出し、それを平家ガニと名づけた例があるように、地域と時代を越えて人間は様々なものに人面を見出している。 それは果たして単なる視覚の遊戯なのか、あるいは人面を幻視、発見することが何らかの心理的な役割……そのものを人間と同一視し、 そうすることによってある種の願望を表したり、安堵したり、あるいはその同一性の背後に何らかの原因や因縁話を作り上げ、解釈し、 転生の願いや恐れを表明している、……そんな風にも考えられはしないだろうか。いずれにしろ、この人面魚紋様については、より深い考察が 求められるだろう。

二   図
紅陶人面魚身俑 隋−唐時代 七世紀
高9.3 直径18.2 奥行6.2
『京都国立博物館蔵品図版目録』より

三   図
『コキーユ号航海記録』にみえるクラゲの図
『水中の驚異』より
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【注釈】
1、『東洋文様史』渡辺素舟著 冨山房 頁五二四
2、デュプレ『コキーユ号航海記録』
  十九世紀に行われたフランスの南太平洋博物探検航海船の調査記録及び図録集。
        (図版とも『水中の驚異』荒俣宏編著 リブロポートによる)