中国の図像を読む
第一節 中国の吉祥図を読む。《5p》

 四、基底文化
 
 さて「松に鶴」図に戻ろう。一図は中国の書物から引用したものであることは 先にも述べたが、もう一つ、今度は日本の「松に鶴」図を紹介しよう。著名な画家の松鶴図は数多くあって、どれか一つを選ぶとなると目移りもするし、 変な絵を選んで鑑賞眼の無いのがあからさまになっても困るので、美術的に価値がある松鶴図を紹介するのは控えることとする。ここではより庶民的な 「松に鶴」図を紹介しよう。日本人の動植物に関する図像の集大成でもあり、日本的自然観をよく表した遊戯の一つである「花札」。 この遊戯札の一月、二〇点札がまさに「松に鶴」なのである。(十図)
 「松に鶴」という図像は、高尚な美術作品ばかりではなく、こうした庶民の生活、遊びの世界にまで入り込んでいる。 是非このことの持つ意味も考えてみる必要があるだろう。たとえば我々はこうした図像を瞬間的に、そして無意識のうちに、 おめでたいと認識して受け入れるが、このむずかしい理屈を通しての認識ではなく、なんとなくおめでたいと感じるという点、 これも意外に大切なのである。我々は一体どこで「松に鶴」の図像はおめでたいものであると学んだのだろうか。小学校の国語の時間だろうか、 あるいは美術の時間だろうか。決してそうではあるまい。我々は日々の生活の中で自然にそれらの解釈を身につけ、おめでたいというイメージを 培ってきたのに相違あるまい。例えばそれはお正月であるかも知れない、結婚式であるかも知れない、漫画かもテレビかも花札であるかも知れない。 いずれにしろ、それがいわば無意識の学習であるからこそ、このおめでた感は日本人にとっての基層文化であるとも言えるのだ。
十図 松に鶴(花札)

十   図
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