中国の図像を読む
第一節 中国の吉祥図を読む。《3p》
  (「二、文化の異質性」のつづき)
 さて、この鶴と鹿が描かれた三図は、「鶴鹿同春」と題されているが、いうまでもなく、 鶴は長寿をシンボライズしたものであり、一方、鹿は今も述べたように福禄を表している。これでこの図の解読が終了したかというと、さにあらず。 実はもう一つ重要なモチーフが隠されている。鶴の頭上、画面の上方三分の一を占めて描かれている樹木に注目しよう。もちろん鹿の周りには笹が、 鶴の横には松と思われる吉祥物が添えられている。しかし、それら以上にこの鶴の頭上の樹木は、重要な意味を持つ。この木は一体何の木であろう。 それを見極める鍵は、この樹木に盛んに茂っている葉にある。全体が三枚に分かれた形をしているが、この形の葉を目にしたことはないだろうか。 例えば、戦国の武将・豊臣秀吉の用いた家紋が、この形をした葉からできあがっているが、(四図最下段)この家紋は太閤桐と呼ばれているものである。 (注D)とするなら、三図に描かれている樹木もその正体は「桐」であるということになろう。では、何故桐が描かれているのであろう。 通常、桐という木は鳳凰とともに描かれることが多い。それは、鳳凰は梧桐の木に好んで止まるという中国の古くからの言い伝えによるのであるが、 (注E)三図の場合、描かれているのは鳳凰ではなく、鶴である。それなのに、なぜ桐が描かれるのか。ここで、思い出してほしい。 蓮と鹿の例で述べた中国吉祥図解読の重要な鍵……同音・諧音の利用という特徴を。単に「桐」(tong・2)と同音の文字といってもたくさん考えられるが、 この場合考慮にいれなければならないもう一つの事項に、この図のタイトルがある。「鶴六同春」この「同春」の「同」(tong・2)という文字がまさに 桐と同音なのだ。いわば、鶴と鹿という二つの吉祥物を一つに結びつけ、長寿と福禄がともに……同時に……実現されるようにとの願いを具現化し、 図案化したものがこの桐なのだ。
 この例なども、日本人には直感的に理解することは不可能なものの一つである。 まさに日中の吉祥観の違いが現れた好例といえよう。一衣帯水の国だ、兄弟か親戚のような国だ、 中国と日本は同じ文化を共有しているのだと単純に考えていると大変な間違いを犯すことになる。かりに双子の兄弟でもずいぶんと考え方は違うように、 中国と日本の間にも、むしろ異質な部分の方が多い。広い国土と人口を有す大陸の国・中国と海に囲まれた島国・日本とでは、その風土はもちろんのこと、 そこで培われた文化に関しても大きな違いがあって当然なのだ。

四図 桐(家紋)
四   図
 共通性の認識はもとより大切なことだが、異質な部分は異質な部分としてしっかりと認識し、 その上でお互いに理解し合うという意識を常に持ちつづけることが図像解読の第三の鍵でもあるのだ。多くの吉祥図の中には、中国人はおめでたいと感じても、 日本人にはさっぱりおめでたくなかったり、同じ図像でも少しだけ認識にずれがあったり、日本人にはまったく理解できないようなものも存在する。 そうした図像に対する中日での解釈のずれに注意して、これから様々な図像を見ていくことにしたい。
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【注釈】
 D『家紋逸話事典』丹羽基二(立風書房)1995年
 E『詩経』大雅・巻阿
    鳳皇鳴矣于彼高岡   鳳皇 彼の高岡に鳴く
    梧桐生矣于彼朝陽   梧桐 朝陽に生ず
    (鳳皇はあの高岡の地で鳴き、鳳皇が羽を休める梧桐の木は彼の朝陽の地に生じる。)
   (鄭箋) 鳳皇之性 非梧桐不棲 非竹實不食。
      (鳳皇の性 梧桐に非ざれば棲まず、竹實に非ざれば食わず。
       /鳳皇はその性質として梧桐の木でなかったならば棲もうとせず、
        竹の実でなかったならば食べようとしない。)