『文藝春秋』これも仏教語
 有耶無耶(うやむや) 
    「有」や「無」という概念は説明しだすと一冊の本が書けるほど重要な概念である。「耶」は疑問を表す終助詞の一つであり、直訳
  すれば「有だろうか無だろうか」という意味になる。そこから有るのか無いのか、曖昧模糊(あいまいもこ)とした状態を指すようになっ
  たものである。
    有為転変の項でも述べたが、仏教語の中には老荘思想から借用した語がときどき見うけられ、この有耶無耶も『荘子』(そうじ)と
  いう書物でも使われている。

 大袈裟 
    「袈裟固め」や「袈裟斬り」同様、僧侶の着る法衣からきた言葉。袈裟という語も音写語であり、修行者の着る粗末な衣の意であ
  る。
    それがいつの間にか、華美で装飾的な儀式用の法衣までをもいうようになり、実際とはかけ離れ、誇張した様を「大袈裟」という
  ようになった。また、大きく派手なことを表す意だともいう。


 開発 
    仏教語では「かいほつ」と読んで、文字通り開き発す(導き起こす)という意味で用いる。
    菩提心(ぼだいしん)を起こしたり、起こすように教化・指導するという、仏道修行にかかわる言葉として用いるのが本義である。


 餓鬼 
    鬼とは、日本でいうオニとは異なり、インドや中国では単に死者をさしていう。人々が輪廻を繰り返す六道世界の一つである餓鬼
   道に住する死者を餓鬼というが、この餓鬼たちは底なしの飢えと渇きに苦しむという。
    そこから育ち盛りで常にお腹を空かせている子どもたちをも「ガキ」と蔑称するようになった。

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