『仏教語おもしろ雑学事典』これも仏教語
 我他彼此(ガタピシ) 

  自己(我)と他者(他)、あれ(彼)とこれ(此)という二項対立的な考え方は、中国人の得意とするところでもあるが、インドから伝わった仏教は、こうした考え方が煩悩や苦悩の原因となるといい、無分別智(むふんべつち)ということをさかんに主張する。当然、対立する二つのものや人の間には摩擦や軋(きし)みが生じる。
 このように我他彼此の間に生じる音などをガタピシ称するのである。

 観察 

  仏教の修行法の一つに観想というのがあるが、精神を集中させることによって、本来そこには存在し得ないものをあたかも眼前にあるかのようにイメージし、見究めることを称して観察(カンザツ)という。
 明治以降、さまざまな欧米の概念を翻訳する際に仏教語が盛んに使われたが、「意識」「開発」などと並んで、この「観察」という語もその代表的なものの一つである。

 堪忍 

  娑婆(しゃば)という言葉が音写語であることは、前記「有為転変」(ういてんぺん)の項目で述べたが、この堪忍はその娑婆の翻訳語である。
 中国の古典語としては文字通り堪(た)え忍ぶという意味で使われていたのだが、「さまざまな苦難・困難に堪え忍ぶべき世界」という意味で、娑婆の翻訳語として採用されたものである。

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