第2章 日本から見た台湾
ホットな視線を日本に向ける台湾や活発な交流を続ける日台の民間とは対照的に、日本政府は台湾に対して冷淡な態度をとり続けてきた。また、日本人が台湾の実情について知っていそうで意外と知らないのだが、それは戦後の日本人の台湾に対する関心が薄かったからだと思われる。
その理由の一つは、日本国内で台湾に関する情報が少なかったことである。中国や朝鮮半島に比べて台湾に関するニュースが少なかったのは、日本の大手マスコミが台湾に常駐していなかったからだ。日台断交以降約30年もの間、台湾に支局をもつのは産経新聞だけだった。産経新聞を除くマスコミ各社は香港特派員が台湾を担当し、ことあるごとに香港支局の記者が台湾に来ていた。
日本に伝えられる台湾のニュースは質・量ともに少なかったのだが、マスコミがニュースを伝えないと、どうしても人々の関心は薄くなってしまうものだ。中国や朝鮮半島は何かと騒々しいためにマスコミが頻繁に報じるが戒厳令下で当局の取り締まりが厳しい台湾では重大な事態も起きなかった。このため日本人は台湾の存在はよく知っているが、今一つ関心が湧かず、その実態についてもよく理解していなかったのである。
外交関係も要因の一つだ。72年には中国と外交関係が生まれ、台湾との外交が断絶したために戦後続いた日中と日台の外交関係が逆転した。「中国」との公式関係が中華人民共和国とのものだけになり、日本にとって非公式な台湾関係は二次的な性格に変わったため、台湾に関するニュース価値が一気に低下してしまった。マスコミはどうしても政府要人が公式訪問できる国を重視し、さらに政府の中国重視の外交方針に沿って台湾ニュースの扱いを意識的に小さくする傾向すらあった。
日本人の台湾に対する関心の薄さは、“元日本人”の李登輝総統誕生後に一変した。李登輝氏が台湾の存在を世界にアピールするようになったため注目され始めたのだが、日本人が台湾に関心を寄せるようになった直接のきっかけは、司馬遼太郎の『台湾紀行』の出版であった。94年に世に出たこの本の中で、李登輝総統が「台湾人に生まれた悲哀」と発言し、台湾人が歴史的運命から抱いている率直な感慨を初めて外国に向かって吐露した。最高指導者の発言は中国政府や台湾の「外相人」の怒りを買ったが、日本人は初めて耳にする“元日本人”の台湾人指導者の叫びに心を動かされた。このベストセラーによって、日本人の間で台湾の存在が眠りから目覚め、李登輝氏の存在が日本国内で鮮烈にクローズアップされた。
日本人の視線が台湾に注がれるようになった98年に日本の大手マスコミが一斉に台湾に進出した。台湾当局はそれまで日本のマスコミ進出誘致に相当な費用と手間をかけてきたが、「これで日本で台湾のニュースが増える」と大いに歓迎した。日本のマスコミは台湾を盛んに報道するようになり、日本人の台湾に寄せる関心はさらに高まった。
そして、台湾へ旅行に行く人が増えた。日本人にとって台湾旅行の魅力は「距離が近い。料理がうまい。日本語が通じる」であろうか。日本人観光客は外国人のなかで群を抜いて多く、毎年全体の四割前後を占めている。99年には台湾中部地震の影響で83万人にとどまったが、それでもトップだった。一方、台湾からも日本に毎年70万人以上がでかけている。日本から一人で来た中国語も台湾語も話せない人は日本語の話せる観光タクシーを利用したが、「ガイド料金は日本国内よりもはるかに安い」と少々高めの料金にも納得。そして「台湾は楽しかった」と満足して帰国した。「台湾へのリピーターの割合は高い」と観光協会関係者は話している。
日本では台湾料理の「小吃」に人気が集まっていて、東京などにはチェーン店が次々に誕生している。「小吃」は台湾の典型的な家庭料理であり、台湾の街でよく見かける屋台で出す料理のほとんどがこれである。台湾に来る日本人観光客、特に若い女性向けの「屋台料理食べ歩き」コースまで生まれている。鍋料理、粥、麺、スープ、各種の団子、炒めもの、焼きものなど種類が豊富だが、不思議とどの料理も日本人の舌にはぴったり合うのである。
台湾南部で生まれた「担子麺」はさっぱりしていて中華料理というよりも日本のラーメンのような味だ。ツアーで台湾に来た日本人観光客が空港に向かう前に昼食をかねて立ち寄る土産物店の経営者の話だが、この店で出す定番の台湾料理の鍋料理は評判がよいそうだ。一般のツアーは旅行中はこってりとした味付けの中華料理が用意されていて、最後に台湾料理がセットされている場合が多く、「台湾料理を食べるとほっとする」と言う日本人が多い。これは素材を比較的大事にする料理方法やあっさりした味付けが日本料理によく似ていることによる。台湾料理は概して味が淡泊であり、日本料理の味に近い。台湾料理が日本人に人気なのは料理方法や味付けが似ているからだろう。
台湾旅行や台湾料理に人気が出てきて、台湾への関心が高まっているようだが、台湾のことを実はほとんど知らないという人が多いのではないだろうか。台湾を知らない日本の若い世代に、台湾の歴史や日本との深い繋がりを紹介した、漫画家小林よしのり氏の著書『台湾論』がある。日本で24万部を超えるベストセラーになったこの本の内容は、蒋介石時代の2・28事件の顛末ばかりでなく、日本統治時代の政策・事業が如何に台湾の近代化に貢献したかが、正確に描写されている。その『台湾論』が台湾での発売前から、一部団体や立法委員によって、新聞、テレビなどのメディアを通じ、連日連夜のバッシングに曝された。台湾内政部は小林氏を「ペルソナ・ノン・グラタ(歓迎されざる人物)」として、入国禁止にした。国民党や、大陸統一派の親民党などの外相人にとって、台湾論は「百害あって一利なし」という彼らの危機感と苛立ちがこの騒動の原動力である。更に彼らを必死のあがきに駆り立てたのは、台湾論の主要なテーマが「台湾人のアイデンティティの確立」だからである。中国との統一を願う大中華主義者にとっては、危険極まりない本なのだ。
この本を読むと本当に日本はいいことをしたのだと感じる。しかしこの本は日本統治時代のことがとてもいいように書きすぎである。植民地支配というものは、こんなにいいことばかりではないはずだ。自分の国がしたことを悪いと思っていないような感じがした。
台湾でこの本に対しての批判が多く、その批判は「小林氏が情報はあまり多くなく、情報源が、ごく一部の人に限られている」というものがあった。賛同する人も大勢いたらしく、「台湾論」は中文版が11万部を突破するという大ベストセラーとなった。この本のおかげで日本人は今まであまり見たことがなかった台湾を見ることができ、また台湾と日本との関係が一歩前に進んだ感じがする。