三教指帰注集の研究
第三章 『三教指帰』古注三種について《3p》
 
 三、「覚明注」への受容について
 
 「覚明注」の成立に関しては、すでに述べたように先行する二種の注釈書―「成安注」と「勘注抄」―が大きな影響を与えている。この先行する二種の注釈がどのように「覚明注」のなかに取り込まれているかは、三者の引書を比較することによって明らかになるであろう。「勘注抄」の残存部分から、この比較は上巻・中巻に限られることとなり、また上巻後半部分以降―「尊経閣本」以外の部分―は抄出本の「勘注抄」を用いることを考慮にいれなければならないが、ほぼその受容の全体像は明らかになるであろう。この三者の比較表は巻末に掲げることとする。
 「覚明注」の中には、先行する二書を利用した注釈であることを示すため、注文の前に「光―」「安―」と冠して施注している部分が見られる。上巻において「光―」と冠するものは六十八例(実際には単に一種の引書ではなく、後に続く二、三の引書も含まれている場合があるが、ここでは単に「光―」という文字の実数を挙げる。)このうち前半部分は「尊経閣本」と比較したところ、字句の細かな異同は別として、四十例の内一例だけが「勘注抄」に存在せず、「成安注」に同文が見える。後半部分は、二十八例すべてが「宝寿院本勘注抄」に存在する。「安―」と冠するものは同じく上巻中に三十八例見られ、その内四例が「成安注」に存在しない。
 「勘注抄」も含めて、こうした元の注釈書に存在しない例が見られるのは、単に覚明の誤りである可能性もあるが、あるいは元の註釈書の方に脱落や異本が存在したことを示唆する。「成安注」に関しては、東寺観智院旧蔵の三教指帰注』(注2)にも一条の引用が認められ、そこには「成安注云九品往生蓮ヲ云九等云々」とあるが、「大谷本成安注」のこの部分は「等品也未詳」と記されているだけであり、「成安注」にも「勘注抄」と同様に異本があったことを窺わせる。
 上巻部分の「覚明注」で「光―」「安―」と冠されているものは、両者を合わせても百余例に過ぎず、その他ののべ千余例の引書と比較すると微々たるものである。また逆に原拠となった「勘注抄」・「成安注」も「覚明注」に引かれているもの以外に多数の注文が存在している。この数の上から判断するなら、「覚明中」は先行する二種の注釈を利用するよりも、むしろ独自の注釈を多く施したということになる。
 しかし、その注の内容を詳細に比較していくと、「覚明中」の九割は先行する二書に基づくものであることが明らかになる。「覚明注」にある注文のうち、先行する二書に同様の引書(文字の異同・引用部分の長短は考慮にいれない。以下同じ。)が存在しないという例、即ち覚明独自の注と考えられるものは、上巻中には百例ほどしかない。また、「覚明注」に利用されていない「勘注抄」は、「尊経閣本」には三百五十余例中五十余例、「法寿院本」では三百三十余例中六十余例しかない。同じく「覚明注」に利用されていない「成安注」は六百二十余例中百十余例ほどである。この数字は引書本文とその注文をそれぞれ一例として数えたものであり、両者が混在しているものもあるため多少前後する可能性はあるが、「勘注抄」・「成安注」のほぼ八割ほどが「覚明注」に利用されていることは明らかである。
 次に覚明の引用について、二、三の点を指摘しておく。まず、施注個所の移動・置き換えが各所に行われている。
「覚明注」の巻頭第一に引かれている『不齋論』四条は、「尊経閣本勘注抄」では序文の後半部分の注として全く同文が引かれている。またそれに続いて「覚明注」が引く『爾雅』は、「成安注」では序末に同文が見える。さらに極端な例では、上巻の「錦繍」の注に引く『釋名』は、「成安注」では中巻に同文が引かれている。
 あるいは近い位置にあっても、その順序を変えている例が数多くあり、中にはそのために本来の注文の形態を失している例が見られる。上巻「四銖」の語句について「覚明注」は『漢書注』『阿闍世王授决經『賢愚經』「應昭」の順で引くが、最後の「應昭」は最初に引く『漢書注』の続きとすべきものであり、「勘注抄」・「成安注」は正しく引用してある。また同様に「伏膺」という語について、覚明は「賈逵」『玉篇』中の引文である。覚明が誤ってこの部分を転倒させたため、これまでの『玉篇』の佚文集などには「買逵」の部分は掲出されていない。
 次に「覚明注」の中には勘注抄と成安注が混在しているものがいくつか見られる。そうした例のいくつかを以下に挙げる。
 「麟角」(「大谷本」巻上32ウ)
覚明注
 爾雅麟麕(△△)苦粉反身(△)牛尾(△△)一角(△△)似鹿仁(○○○)獣也(○○)
勘注抄
 爾雅曰麟麕麟身(△△△)牛尾(△△)一角(△△)
成安注
 爾雅云麟仁獸也(○○○)似鹿(○○)一角牛尾
 「郭象」(「大谷本」巻上本23ウ)
覚明注
 晉書云郭象字子玄少有勘學好老庄能清言大尉王衍毎云聽郭象之語如懸河瀉水注而不竭洲郡召不就常閑居以論文自娯後至黄門侍(―)郎也(○○)
勘注抄
 晉書云郭象字子玄少有才理好老庄能(△)清言(△△)大尉王衍毎云聽象語如懸河瀉水注而不竭
成安注
 晉書云郭象字子玄小勤學(○○○)有才理常好老荘大尉王衍云吾聽郭象之語如懸河水注而不竭洲(○)郡召(○―)不就常閑居自娯後至于黄門侍郎也(―○○)
 こうした例からみると、覚明は先行する両者の注を文字どおり勘案しながら――時には原典にも目を通しているのであろうが――注を施している。そのため「光―」「安―」と冠していないものとも考えられる。
 最後に、「覚明注」の中には「成安注」の頭注・脚注と同文のものが見られる。これについては既に第二章で述べたところでもあり、一例を挙げるにとどめる。
※成安注頭注(巻上本27オ)
  荘子曰猶有蓬之心注云蓬不直者也
※覚明注
  荘子云猶有蓬之心注云蓬非直達者也
 (この部分の勘注抄は「曾子曰」と引いてるが、『史記』や『荘子』は引いていない。)
 以上述べたように、「覚明注」はこれまで考えられていた以上に先行する一書を利用し、そこから各種の典籍を引用している。このことは単に『三教指帰』研究の上に大きな影響を与えてるだけではない。「覚明注」という書物は、各種の佚書・佚文を含むものであるため、これまで多くの研究に重要資料として利用されてきている。しかし、「勘注抄」が残巻とはいえ数種の写本が明らかにされ、また完本としての「成安注」の存在が明らかになった以上、これまでの研究は大きく訂正・補足する必要がある。管見の及ぶところ、上田正氏の『玉篇』・『切韻』等の研究に既にそうした試みが見られ、その他いくつかの研究も報告されている。そこで以下の第四章では、「成安注」に引用されている典籍について―特に佚書・佚文を中心にして―解説を加えることとする。(この章終わり))
 
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【注釈】
注2 太田次男「東寺観智院旧蔵三教指帰注文安写本について」(『成田山仏教研究所記要』七、昭和五七―一二)に翻印がある。