中国の図像を読む
第六節 黄金バットは中国生まれ?《1p》

 一、コウモリは正義の味方
 
 一図にあげた資料は、かつて日本の子供たちを熱狂させたスーパーヒーローの一人、黄金バットを描いたものである。若い人たちには馴染みのない存在であろうが、四十代以降の世代には、懐かしく思い出される、戦前戦後を通じての日本を代表する正義の味方である。一図は、昭和二十三年に発行された『黄金バット 天空の魔城』(永松健夫著)の表紙絵なのだが、ここに描かれた髑髏の騎士こそが黄金バットであり、「ウハハハハ」という高笑いとともに現れて、悪漢たちをやっつけるというのが、いつものおきまりのパターンであった。

一   図
『黄金バット 天空の魔城』
(『別冊太陽 子どもの昭和史』より)
 黄金バットが最初に登場したのは、街頭紙芝居の世界だった。時は今から半世紀以上も前、一九三〇(昭和五)年のことであった。戦後も終戦の翌年にはすぐに新作『黄金バット』として復活しており、筆者が少年時代にはテレビアニメ化もされている、たいへん息の長いヒーローである。
 この髑髏の騎士がなぜ「黄金バット(金色の蝙蝠)」という名で呼ばれるのか、一図からだけではピンとこないかも知れない。黄金バットの出生(?)についてくわしいことは記憶していないのだが、黄金バットが現れる前には、常にどこからともなく一羽の金色のコウモリが現れていたのを記憶している。そういう意味では、黄金バットはコウモリの化身であるともいえるのではないだろうか。ではさらに、なぜコウモリが正義の味方なのだろうか。日本人の多くは「コウモリ」という言葉を耳にした時、黒く、うす気味の悪い、夜行性の、鳥だか動物だか得体の知れない鵺的動物をイメージするだろう。あるいはもっと一般的には、吸血鬼を思い浮かべたりするかも知れない。いずれにしろ、現代人にとってコウモリという動物は、はなはだマイナスのイメージばかりを抱かせる存在なのである。それにも関わらず、黄金バットは正義の味方なのである。これは、いかがしたことであろうか。

二   図
紙芝居の黄金バット
(『戦中・戦後紙芝居集成』 アサヒグラフ別冊より)
 果たして、黄金バット誕生に直接の影響を与えたかどうかは明らかではないが、コウモリが正義の使者となりうる可能性を示すものが一つだけある。それが中国におけるコウモリの存在と、その象徴性なのである。前節で金魚という動物を巡る中日でのイメージの違いを指摘したが、金魚の場合は多少その象徴性にずれはあっても、同じように愛玩される動物であることにはかわりがなかった。ところが、今回テーマとするコウモリに関しては、中日間にずれどころか大きなギャップがあり、むしろ正反対の象徴性を有しているといっても過言ではない。
 前置きはこのくらいにして、まず結論から述べよう。伝統的中国社会においては、コウモリは決して忌み嫌うべき存在ではなかったのである。中国人にとっては、むしろ幸福を呼ぶ動物なのである。この現代日本人には容易には理解しがたい、中国におけるコウモリのもつ寓意性について、これから述べることにしよう。
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