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≪中国仙人伝図像解説≫
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その一 【孫の手じゃなくて、本当は「麻姑の手」なのよ】卷三より 蔡經附麻姑 |
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【書き下し(一部抜粋)】 蔡經は、姑蘇の人。漢の桓帝の時、仙人王方平其の家に降る。…≪中略≫…方平乃ち人をして麻姑を迎えしむ。麻姑は即ち方平の妹なり。少頃にして麻姑至る。經 家を舉げて之に見(ま)みゆるに、是れ好き女子にして、年 十八ばかりなり。頂中に髻(まげ)を作し、餘髪は散じて垂れて腰に至る。錦衣 綉裳(しゅうしょう)、光彩 目を輝かし、皆な世の有る無き所なり。麻姑の手は鳥の爪に似たり。蔡經私(ひそ)かに念(おも)えらく、「背痒(かゆ)き時、此の爪を得て、之を掻けば佳からん。」と、方平即ち知り、乃ち經の背を鞭(むちうち)て曰く、「麻姑は神人なり。汝謂(おも)へらく、其の爪は背の痒きを掻くべきか。」と。 語釈 |
【大意】 これは漢の桓帝というの皇帝が世を治めていた頃の出来事である。王方平(王遠)という仙人が、仙骨を有する蔡経というのものの家に降り、妹の麻姑をも同時に蔡経の家に迎えた。蔡経一家の者たちはうちそろって麻姑を迎えたが、彼女は年のころなら十八、九の、たいそうな美女であり、ツムリの天辺にはマゲを結い、残りの長い髪はみなそのまま腰の辺りまで垂らしていた。錦の衣に鮮やかな模様の衣装を身につけていて、その輝きに一同ものはことごとく目をうばわれるほどで、とてもこの世のものとは思われなかつた。麻姑の手の爪はまるで鳥の爪のようであったので、蔡経はひそかに心の中でおもった。「背中が痒い時、彼女の爪で掻いたならどんなにか気持ちがよいだろう。」と。すると、側にいた兄の王方平は、その思いを察し、すぐに蔡経の背を鞭打って叱りつけた。「恐れ多くも麻姑は神人であるぞ。お前ごときがなんということを思いつくのか。」と。 |
【原文】 蔡經、姑蘇人。漢桓帝時、仙人王方平降其家。方平乃遣人迎麻姑。麻姑即方平之妹也。少頃麻姑至、經舉家見之、是好女子、年可十八許。頂中作髻、餘髪散垂至腰。錦衣綉裳、光彩耀目、皆世所無有。麻姑手似鳥爪。蔡經私念、「背痒時、得此爪、掻之佳。 」方平即知、乃鞭經背曰、「麻姑神人也。汝謂其爪可掻背痒耶。」 |
【余説】 もともと麻姑の話は『~仙伝』の卷七「麻姑」や卷二「王遠」に見えるが、後の各種の仙人伝にも数多く採録されている。今回は『列仙全伝』より「孫の手」の由来となった部分のみを摘録した。 |
【図像】 『列仙全伝』では、「麻姑」単体での図像はなく、兄の王遠(王方平)と蔡経との三人揃いの登場となり、本文の王遠が蔡経を鞭打つ場面を描いている。また麻姑の頭髪の長さや爪の長さも本文をなぞっている。他の後世の図像は頭髪の長さは少し短すぎ、特に『道光列仙伝』に至っては長髪ではなく、ショートカットになっていて、いかにも本文をしっかり参照せずに描いたものであることが知られる。(諸本の解説と『列仙全伝』との関係については「第五房第一室≪列仙全伝≫」のページを参照のこと。) |
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