≪中 国 仙 人 伝 図 像 解 説

 からつくにのあやしきものどものえときものがたり
                  またの名『有象列仙全伝』解読抄

その六 【仙人の常備食、靈芝】靈芝の図像表現伊和玄解その他、巻六

 
 
     『列仙全伝・赤将子輿』                『列仙全伝・荘氏』         
   
    『列仙全伝・劉晨、阮肇』              『列仙全伝・伊和玄解』          
         『道光列仙伝・孫思バク』        『道光列仙伝・雷隱翁』

【書き下し】
伊祁(キ)玄解は、■(シン)髪・童顔にして、気自(おのずか)ら香潔なり。常に一の黄牝馬に乗る。芻栗(すうぞく)を啖(く)わずして■(キョウ)勒を施さず。惟だ■(セン)を以って其の背に籍き、常に■(エン)の間に遊ぶ。人と千年の事を話すに皆な目撃するが如し。……上因りて問う「先生年高けれども、顔色老いざるは、何ぞや。」と。玄解曰く、「海上に靈草を種え之を餌(く)らう。」と。因りて殿前に種う。、一は雙麟芝と曰い、二に六合葵と曰い、三に萬根藤と曰う。上之を餌らひ、殊(こと)に神験を覚ゆ。……

【語釈】
・■髪‐ゆたかな黒髪をいう。  
・芻栗‐牛馬の飼料。まぐさ。
・■勒‐たずなとくつわ。
・■‐青色の毛氈。
・■‐州は現在の山東から遼寧省、■(ナベブタに兌・エン)州は山東省北西および河北省南西一帯。
・上‐皇帝。ここでは唐の憲宗皇帝をさす。
・雙麟芝・六合葵・萬根藤‐下段【余説】参照

【大意】
 
伊祁玄解は、豊かな黒髪をした少年のような童顔の人物で、その心ばえもたいへん香潔であった。彼は常に一頭の黄色い牝馬に乗っていた。その馬は、通常のまぐさなどは口にせず、乗るにもタズナやクツワのような通常の馬具は必要としなかった。ただ青い毛氈の鞍を背中におくだけで充分であった。そうして州から■(エン)州の間を流離っていた。そして誰か人と千年前の出来事を話すような時も、まるで皆な目撃してきたかのような話し方をするのだった。……そこである時、憲宗皇帝は玄解に尋ねてみた。「先生は随分お年を重ねていらっしゃるようですが、お顔を見ても全く年齢を感じないのはなぜでしょう。」と。それに対して玄解は「海上に霊草を種えて、常にそれを食べておるのです。」と答えるばかりであった。そこで憲宗皇帝はその霊草を譲り受け、さっそく御殿の前庭に種えてみた。一つは雙麟芝といい、あとは六合葵と萬根藤という霊草だった。皇帝がその草を口にすると、この上もなく効果があるように感じるのだった。……

【原文】
伊祁玄解。■(髪がしらに眞・シン)髪童顔、氣自香潔。常乗一黄牝馬。不啖芻栗不施■(革へんに彊のつくり・キョウ)勒。惟以■(氈の左右が逆セン)籍其背、常遊■(ナベブタに兌・エン)間。與人話千年事皆如目撃。……上因問「先生年高、顔色不老。何也。」玄解曰、「海上種靈草餌之。」因種于殿前。一日雙麟芝、二日六合葵、三日萬根藤。上餌之、殊覺神驗。……

【余説】
 中国の仙人は辟穀と称して、五穀を中心とした穀物による食事を絶つものが多い。その理由や理論付けはイロイロ考えられようが、基本的には穀物は腹に溜まるせいで体が重くなり、仙界へ行くための飛行ができなくなってしまうというところに主原因があるように思われる。それでは穀物の代わりに仙人たちは何を食べるのであろうか。日本ならさしずめ仙人は《かすみ》ということになるのだろうが、中国の仙人たちの食事で《かすみ》というのはあまりお眼にかからない。『列仙全伝』に登場する仙人たちは、花(赤將子輿)・松の実や松脂(アクセン・古丈夫・毛女・聶師道)・球根(務光)のようなや鉱物(白石・雲母・朱砂)を主食としている仙人まで存在する。そのほかに頻繁に登場するのはキノコ類で、なかでも単に《芝》と表現されることもある《霊芝》がその代表であろう。またこの《霊芝》は様々な絵画によく画かれる存在でもある。その正体は、日本でも漢方薬としてよく知られたサルノコシカケ科に属するキノコなのである。そもそも漢方薬とは、本来仙薬のことであり、『抱朴子』仙薬篇などではこの《霊芝》について細かに分類して解説を加えている。ちなみに本文に登場する雙麟芝・六合葵・萬根藤も霊芝の一種と思われ、『太平広記』巻四十七に引く同話には「雙麟芝は色 褐にして,一莖兩穗あり,穗の形 麟の如く,頭尾悉ごとく具わる,其の中に子(種子)有りて,瑟瑟の如し。六合葵は色 紅し,葉は茂れる葵に類す,始め六莖を生じ,其の上に合して一株を為し,共に十二葉を生じ,内に二十四花を出す,花桃花の如し,而して一朶千葉,一葉に六影あり,其の実を成すこと相思子の如し。万根藤の子は,一子にして万根を生ず,枝葉皆な碧にして,鉤連盤屈す。一畆に蔭し、其の状芍藥に類す。而して蕊は色 殷紅なり。細きこと絲發の如し。長(たけ)五、六寸可(ばかり)にして、一朶之内,啻(ただ)に千莖のみならず,亦た之を絳心藤と謂う。」と詳しい説明が付されている。

【図像】
 さまざまな絵図における《霊芝》の表現はどれも似たようなものであり、中国のみならず日本でも早い時期から類型化していたようである。『列仙全伝』の場合、図像中に《霊芝》が表現される仙人たちは概ね仙薬に関する逸話を持つものたちである。今回紹介した伊祁玄解にしても、自ら雙麟芝という《霊芝》の一種を栽培していたというのである。
その七へ