≪中 国 仙 人 伝 図 像 解 説

 からつくにのあやしきものどものえときものがたり
                  またの名『有象列仙全伝』解読抄

その五 【こども?老人?】卷四より 王質より

     
   『列仙全伝』              『道光列仙伝』           『仙佛奇踪』  



  
    『三才図会』         『新鐫綉像 列仙傳』          

【書き下し】
王質、晋の衢州の人。山に入りて木を伐る。石室山に至り、石室中を見るに、数童子の棋を囲む有り。質斧を置きて之を観る。童子物の棗(なつめ)の核(たね)の如きを以って質に与へ、含みて其の汁を咽(の)ましむれば、便ち飢渇を覚えず。童子云く、「汝んじ来たること已(すで)に久しければ還るべし。」と。質斧を取るに、柯(おの)爛(らん)して已に尽く。質亟(すみやか)に家に帰るに、已に数百年なり。親旧復た存する者なし。復た山に入りて道を得。人往往にして之を見る。

【語釈】
・衢州‐浙江省衢県  
・石室山‐未詳
・棋‐碁。
・柯‐斧に同じ。
・爛‐ただれ腐る。
【大意】
 王質は、晋の衢州出身の人であった。山に分け入って木を伐ることを生業としていた。ある時、石室山という山の中で一つの洞窟を見つけ、中をのぞいて見ると、数人の童子が棋盤を囲んでいた。斧を傍らに置いて、その様子を観ていると、ひとりの童子か棗(なつめ)の核(たね)ほどの大きさをしたものを王質に与え、口に含んでしゃぶらせたのだった。すると不思議なことに、いつまでたっても飢えや渇きを覚えることはなかったのだった。しばらくすると、また童子が口を開いた。「おまえはここに来てもう随分になるぞ。とっとと帰った方がいいんじゃないか」王質はそう言われて、傍らに置いた斧を拾おうとして、驚いた。置いてあったはずの斧は、すっかり腐り果てて形をとどめてはいなかったのである。大急ぎで、王質が家に帰ってみると、故郷ではもう数百年が過ぎており、見知った親戚や旧友たちの姿はどこにもなかったのだった。王質はその後また山に入って仙道を得たと言う。またその後も人々は、時々王質の姿を見かけたということだった。 

【原文】
王質、晋衢州人。入山伐木。至石室山、見石室中、有數童子圍棋。質置斧観之。童子以物如棗核與質、令含咽其汁、便不覺飢渇。童子云、「汝來已久可還。」質取斧、柯爛已盡。質亟歸家、已數百年。親舊無復存者。復入山得道。人往往見之。

【余説】爛柯(らんか)説話と呼ばれて有名な物語である。仙人伝にしばしば見られる時間の速度に関わる(いわゆる物理学で言う浦嶋効果の)お話しの一つです。『列仙全伝』には、この外にも、乙姫ならぬ仙女たちに歓待される劉晨と阮肇の物語も収録(巻三)されている。
 

【図像】
 この図像の不思議なところは、おおもとの『列仙全伝』の図像では、本伝に「有數童子圍棋(数童子の棋を囲む有り)」とあるように二人の《童子》が画かれている。ところが、それ以外の全ての図像はふたりの《老人》が碁盤を囲んでいるではないか。実はこの爛柯説話は『列仙全伝』以外の他書にも見られ、それらの中には《童子》ではなく、《老人》となっているものも存在するのである。どこか人々のイメージでは山中の洞窟にいる仙人は《老人》の姿をしているものとの固定観念があるのだろうか。仙人とは本来《不老不死》であるのだから何百歳の老人であろうと、外見は若々しくあるべきだとも言える。そういう意味では『列仙全伝』の図像も《童子》を画いているように見えて、実は《老人》なのかもしれない。ならばやはりここはあえて《童子》の姿で画いてこそ、味わいがあろうというものである。
その六へ