≪中 国 仙 人 伝 図 像 解 説

 からつくにのあやしきものどものえときものがたり
                  またの名『有象列仙全伝』解読抄

その四 【正体は蝦蟇でした?!】卷七より 侯先生より


       『列仙全伝』                   

【書き下し】
 侯先生、何許(いずこ)の人なるかを知らず。宋の大中の間に、薬を京師に貨(う)る。年四十余にして、鬚眉無く。瘤贅(りゅうぜい)隠隠として肌体に遍し。嘗て醉いて夜に遇い即ち乞丐と処を同じうす。馬元なる者あり、夏月之に随い■(門ガマエに昌)闔門を出づ。侯池中に浴す。元因りて就きて視るに。乃ち大蝦蟇(がま)なり。元遽(にわか)に退引す。侯浴より出で衣を着る。元前(すす)みて之に楫す。侯笑いて曰く、「子適(たま)たま我を見るか。」と。乃ち元を召して酒肆中に飲む。薬一粒を出だして曰く、「之を服せば、寿百歳ならん。」と。此れより復た見えず。蜀中より来たる者あり、其の薬を市に貨るを見る。
 
【語釈】
・宋大中‐未詳。宋に大中という年号はないあるいは「大中祥符」(1008〜1016)か?
・瘤贅‐こぶ。贅瘤。
・隠隠‐衆多のさま。
・■闔‐宮門の正門をいう。
・楫 ‐えしゃく。又、えしゃくする。禮容の一。両手を胸の前で拱し、之を上下し、或は前に推しすすめて先方を敬う意を表わす禮。
        
【大意】
 侯先生という人は、その正体が明らかではなかったが、宋の大中年間には、都で薬を売り歩いていた。年の頃は四十余りで、鬚や眉がなく、つるっとしていて、ブツブツとしたこぶが体中にひろがっていた。ある時酔っ払って夜は物もらいたちと一緒に休んでいた。ここに馬元なる者がいて、夏の暑い夜だったので侯先生と連れ立って■(門ガマエに昌)闔門から街を出た。すると侯先生は郊外の池で水浴を始めたのだった。馬元がその様子を見ていると、先生の姿はなんと大蝦蟇(がま)だった。馬元は慌てて取って返したが、先生は池から出ると着物に着替え、何事も無かったかのように戻ってきた。馬元は近寄って先生に丁寧に会釈を繰り返した。すると先生は「お前さんは私の正体を見てしまったのだね。」と笑って答えると、一杯飲もうと酒屋へ誘うのだった。酒屋に入ると「この薬さえ飲めば、百歳までも生きられるぞ。」と、先生は一粒の薬を取り出すのだった。こんなことがあって以降、侯先生の姿を見かけることはなくなってしまったが、蜀の方からやって来た人によると、かの地でもやはり市で薬を売っていたのを見かけたということだった。

【原文】
侯先生、 不知何許人。宋大中間。貨藥京師。年四十餘、無鬚眉。而瘤贅隠隠遍肌體。嘗醉遇夜、即與乞丐同處。有馬元者、夏月随之出■闔門。侯浴池中、
元因就視。乃大蝦蟇。元遽退引。侯浴出着衣。元前楫之。侯笑曰、「子適見我乎。」乃召元飮酒肆中。出藥一粒曰、「服之、壽百歳。」自此不復見。有自
蜀中來者、見其貨藥于市。   

【余説】
 一般に蝦蟇仙人といえば、よく絵画などにも描かれる劉海蟾という仙人が有名であるが、『列仙全伝』には伝記は載っているが、図像は付されていない。またその伝記中にもカエルは出てこない。ちなみに蟾蜍(せんじょ)はヒキガエル、蝦蟇がガマである。そういう意味では劉海蟾はヒキガエル仙人であって、ガマ仙人ではない。

【図像】
 『列仙全伝』の図像の中には、仙人の肖像画ではなく単に動物などが描かれたものがいくつかある。今回紹介した候先生の場合も蝦蟇が池中で手を挙げている様子と岸に残された衣服や冠、靴などが描かれているだけである。また池中の網代紋のように描かれているのは、黄氏一族の波紋を描くときの常套手段である。
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