第二房 講義楼
第二房第一室 研究業績
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T.著書  
・大谷大学所蔵 『三教指帰注集』の研究    1992年10月 大谷大学
『三教指帰注集』の研究  大谷大学が所蔵する貴重書の一つである『三教指帰注集』(釈成安注)を翻刻し、併せて他の『三教指帰』の注釈との関連や引用されている諸典籍についての研究等を行い、その資料的価値の重要牲を明らかにしようとしたものである。翻刻篇・研究篇・資料篇の三部より成り、全巻にわたる図版をも付した。 (研究篇517頁 図録篇207頁
・『日本古典への誘い 100選T』     2006年9月 東京書籍
 『日本古典への誘い 100選T』  高校・短生向けの日本古典文学の翻訳・解説書。「三教指帰」の部分を部分を担当。【262頁〜271頁】
・『仏教語おもしろ雑学事典
   ―知らずに使っているその本当の意味』
     2011年3月 東京書籍閣
   雑誌「大法輪」の特集記事を再編集したもの。「第一部これも仏教語」
 48頁〜53頁担当
U.学術論文

1.蕭統の文学集団と仏教
   1985年3月 (修士論文)
  梁の昭明太子蕭統を中心として形成された文学集団に、どのような文学者が参加していたのかを時代を追って探り、 彼らと蕭統との係わりを明らかにするとともに、その文学集団に与えた仏教の役割の一端に考察を加えた。 (400字×98枚

2.『三教指帰成安注』所引「玉篇」佚文集並びに研究
                   1988年9月 『文藝論叢』第31号 (大谷大學文藝學会)
 『三教指帰注集』(釈成安注)には数多くの佚書・佚文が引用されているが、それらのうちから 「玉篇」の佚文と考えられるものを収集・整理するとともに、原本「玉篇」残巻や他の「玉篇」佚文集と 比較検討し、成安注の引用が原本「玉篇」からの引用であることを明らかにした。 それとともに、これまでの佚文研究に対する多少の補訂を試みた。 (総頁数71頁中32頁(P40〜P71)

3.『三教指帰成安注』古注の比較研究
                     1988年12月  『大谷大学大学院研究紀要』第5号
 「三教指帰」の三種の注釈(「成安注」「勘注抄」「覚明注」)を、後世の諸注釈に与えた影響などから〈古注〉と捉え、 その比較研究を行った。その結果から、これまでに最もよく利用されてきた「覚明注」の引書の多くが、 「成安注」「勘注抄」に基づいていたものであることを明らかにした。 (総頁数206頁中47頁(P125〜P171)

4.『三教指帰成安注』所引「玉篇」佚文集並びに研究・補遺編
    ――付・切韻等佚文――

                  1989年3月 『文藝論叢』第32号 (大谷大學文藝學会)
 『文藝論叢』第31号に発表した佚文集の補遺篇である。原本「玉篇」残巻や他の「玉篇」佚文集と比較検討して、 「玉篇」の佚文である可能性の高いものを収集・整理した。また「玉篇」以外の字書類(「切韻」等)の佚文についても 比較研究を行い、そうした字書類の佚文の多くは、原典から引用されているのではなく、「玉篇」「和名類聚抄」等からの 孫引きであることを明らかにした。 (総頁数124頁中21貢(P101〜P121)

5.『三教指帰成安注』の写本三種について
                  1990年3月 『文藝論叢』第34号 (大谷大學文藝學会)
 大谷大学に所蔵されている『三教指帰注集』とは別に、天理図書館及び尊経閣文庫にも、下巻部分のみではあるが、 『三教指帰注集』の写本が存在する。本論文では、完本としての大谷大学所蔵本と、この二種の写本を比較調査し、 その異同を分析することによって、各写本間の関係についての仮説を提示した。     総頁数83頁中13頁(P70〜P82)

6.昭明太子蕭統と仏教   1992年3月 『西山学報』第40号 (西山短期大学)
 昭明太子蕭統と仏教の係わりについて、『梁書』本伝の記載と『高僧伝』等における記事を中心に分析を加えた。 また、現在残されている蕭統の詩文から、その文学活動に仏教の講席の場が果たした役割についても考察を加えた。 (総頁数93頁中31頁(P63〜P93)

7.『三教指帰注集』引書考・其の一
   ――『文選』『昭明抄』『雕龍策』『仲尼遊方同問録』――

                 1995年3月 『文藝論叢』第44号 (大谷大學文藝學会)
 『三教指帰注集』には、数多くの典籍が引用されている。それらの中には、現在では目にすることのできない貴重な書物も 含まれている。そうしたものの中から、今回は『文選』『昭明抄』『雕龍策』『仲尼遊方同問録』を取り上げ整理を加えた。 (総頁数95頁中11頁(P14〜P24)

8.李華の釈教碑について   1995年9月 『大谷學報』75巻2号
 唐代に書かれた釈教文は、当時の文学者と仏教の関わりを研究する際に必見の根本資料である。 それらの中でも特に碑銘類に多くの作品を残している李華の作品を取り上げて、彼の碑銘類の構造など 文体的特徴について分析を試みた。 ( 総頁数102頁中18頁(P12〜P29)

9.中国吉祥物考(一)――松に鶴――  
                   1996年3月 『文藝論叢』第46号 (大谷大學文藝學会)
 「松鶴図」は日中共通の吉祥物の中でも代表的な物の一つである。 しかし生物学的には鶴はけして松に羽を休めることはないという。にもかかわらず松鶴図は人々の間に広く受け入れられている。 この鶴と松がいつ頃どのような理由から結びついたのかを明らかにするとともにその変遷をたどった。
                       総頁数166頁中22頁(P107〜P128)

10.中国吉祥物考(二)――金魚と蝙蝠――
                 1997年9月 『文藝論叢』第49号 (大谷大學文藝學会)
 中国の吉祥物には、説話的な意味付けを持ったものと音声的意味付けを持ったものとの二種類が存在する。 そのうち説話的意味付けを持ったものは日本にも伝来し、日本の吉祥物文化に大きな影響を与えている。 ところが音声的に意味付けを持ったものは、ほとんど日本人には受け入れられていない。 その代表として金魚と蝙蝠を取り上げ考察を加えたものである。 (総頁数92頁中20頁(P53〜P72)
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