インド仏跡の魅力
吉元 信行
インドと いう国は、何故か我々を魅惑する国である。そこには、様々な言い知れぬ魅力がある。先人たちは、その国を「天竺」と呼んで、遠い異国に夢を馳せた。まさに古からの夢とロマンの路、シルクロードの終点の一つが天竺であった。この「天竺」ということばを聞く度に、中国・朝鮮・日本の高僧方の夢と数知れない熱心な仏教徒たちの願いが私の脳裏を行き交う。
この天竺(インド)は大聖釈尊(仏陀)が誕生し、覚りを開き、遊行・伝道された大地である。我々仏教徒にとって、どうしても一度は行ってみたい、その聖地を目の当たりにして、その思想の原点に触れてみたいと考えるのは当然のことであろう。仏陀の足跡こそがまさに仏教思想の原点である。我々は、その原点に立ち、そして、仏陀の足跡を辿ることによって、仏陀の思想の上に人問の生きるべき道を尋ねることが出来ると確信している。
人問の営みによって、どれほど素晴らしい文明や文化が築かれたとしても、時の経遇はすべてを無にしてしまうものである。そのことは、インドの仏跡そのものが我々に無言で語ってくれる。「人開とは何か」「自己とはどういう意味をもつのか」という問は、有史以前から問われてきた根源の問題である。それに対して、仏陀は我々に「諸行無常.諸法無我」なる現前の事実を基盤として、「今の生を如何に生きるべきか」を教える。我々の前にあるものは、すべての存在するものが、間違いなく、刻一刻と生滅変易を繰り返しているという事実だけなのである。苦悩に連なる人生を克服する道を発見し、それを人類のために説き示してくれた人、その人こそが人間仏陀である。
仏陀は、今からおよそ二五○○年前に、ルンビニーにおいて誕生し、カピラ城において釈迦族の王子として生育された。そして、二九才で出家し、六年間もの苦行の末に、ブッダガヤーにおいて真理を体得し、覚りを間いて仏陀となられた(成道)。その覚りの内容を始めて説法された場所がベナレスのサールナートであり、ここがまさに初転法輪(初めての説法)をされた仏教成立の地である。その後仏陀はガンジス河流域の東北部インドの各地をくまなく遊行の旅を続け、多くの人々を導いていった。その中でも、マガダ国の都「王舎城」(ラージギル)、コーサラ国の都「舎衛城」(サへート・マへート)、ヴァッジー国の都「ヴェーサーリー」(ヴァイシャリ)は、仏陀が長く滞在され、多くの経典を残されたところである。最後に、仏陀は、その最晩年の八○才のとき、王舎城から北へ向けて伝道の旅をされる。しかし、その途中で病に倒れ、ついにクシナガラの地で入滅され、偉大な思想家・宗教家としての生涯を閉じるのである。
この様な仏陀の生涯に関係のある各地の中で、誕生の地ルンビニー、成道の地ブッダガヤー、初転法輪の地サールナート、入滅の地クシナガラは、四大仏跡として仏教徒に崇められ、今日に至るまで巡拝者の絶えることはない。また、この四大仏跡にさらにラージギル、サへート・マへート、ヴァイシャリ、そして、仏陀が三十三天(とう利天)にいる亡き母マーヤー夫人に会いに行き、地上に降り立った所と伝説されるサンカーシャの四地を加えて、八大聖地とする。この場合、生育の地カピラ城はルンビニーに含まれる。
このほか、仏陀の遊行された場所として、ヴァンサ国の都「コーサンビー」、また、仏滅後の仏教展開に関連する重要な遺跡として、アショーカ王の王宮跡「クムラハール」、インド各地に残る各種ストゥーパやアショーカ王石柱、仏教学発祥の地「ナーランダー仏教大学跡」、仏教美術の宝庫「サーンチーの仏塔」、仏像発祥の地「マトゥーラー」などがある。
さらに、私の訪れた仏跡として、アジャンター、エローラ、アウランガバード、カンヘリー、カールラなどの石窟寺院。インド南部のナーガールジュナコンダ、アマラヴァティ、また、東部オリッサ州のラトナギリ、最近発掘されたサーンチー近くのサッダーラ仏塔遺跡、ビハール州で最近発掘された世界最大の仏塔ケッサリヤなどの諸遺跡は原始仏教やインド大乗仏教の研究には欠かせない重要な遺跡である。
今日まで、私は仏跡参拝・インド研修だけでなく、学会出張なども含めて、インドの大地を踏んだのは都合13回ほどになった。仏教以外でも、各地のヒンドゥー教・ジャイナ教・イスラム教・パーシー教などの聖地、寺院や遺跡も訪れることができた。ヴァーラナシ(ベナレス)、アヨーディヤなどのガート(沐浴聖地)、オリッサ州プーリのジャガンナート寺院、コナラクのスールヤ寺院、南インド・タミール州のカーンチプラム、マハバリプラムのヒンドゥー寺院、ムンバイ(ボンベイ)沖のエレファンタ島ヒンドゥー大石窟などは、訪れる者を魅惑してとりこにしてしまう。また、これら聖地や遺跡だけでなく、インドの田舎や都会の風光そのもの、あるいはそこに住んでいる人たちが全て魅力的である。
今こうして、インドへの数々の旅を終えてみて、あらためて思う。またこれら仏跡やインドの街や村を訪ねてみたいと。域旅にインドの大地はその神秘さを深めていく。仏跡への路はまさにブッダの時代のタイムトンネルである。我々はインドの各地を旅行したというよりは、現代から2500年前までの時間を旅行したということを実感するのである。
現代のインドには、まだブッダ当時と同じような生活様式はそのままある。頭に壷を乗せて、原色のサリーの裾を翻して歩く水汲みの女性。大道をゆったりと歩く、痩せた牛。往来をギシギシと音をきしませて行く牛車。ガンジスの流れに身を任す帆掛け舟。ランプの炎の揺らめく茅葺の小屋。全てを包み込んでくれるような大木バンヤンの木陰。ブッダの温もりをそのまま残しているようなブッダガヤーの金剛宝座や霊鷲山・祇園精舎にある香室の仏座の跡。
このように、インドには、まさに古代と現代とが混在しているのである。いまから、その古代への、ブッダがその御足で歩まれた仏教の原点への旅を語ろう。
(拙著『人間仏陀――仏跡・足跡と思想――』文栄堂、序文より抜粋補遺)
上記のインドの聖地や風光については、吉元研究室のホームページ「インドとその周辺」の該当個所を参照されれたい。