コンピュータ技術の進化が生んだ音楽「テクノ」
0248098 道端希海
はじめに
近年、コンピューター技術の発達によって様々なものが進化し続け、次々に新しいものが生まれてきている。コンピューター技術を利用した新しいビジネスなどによって、私たちの生活はより便利なものへと進化しつづけている。そんな中で、私が注目したいのは、先に述べたコンピューターの進化によって生まれたものの1つである電子音楽、テクノミュージックについてである。
第1章 テクノの定義、テクノポップとの関係について
テクノミュージックという新しい音楽は、今まであった音楽とは全く異なったものである。たとえば曲を作る作業である。シンセサイザー、シーケンサー、ドラムマシン、サンプラーといった電子楽器で作られる。歌詞がないといった点もテクノの大きな特徴の1つであるといえる。また、テクノは一定のリズム(四拍子が基本)に合わせた音の繰り返し(ループ)によってつくられる音楽である
テクノの定義だが、「これがテクノ音楽である」といったはっきりとした定義づけをするのは、非常に困難である。例を挙げるならCDショップへ行っても、レコードショップへ行っても、同じレコードが、ある店では、「テクノ」のジャンルに置かれているのに、違う店に行くと、「テクノポップ」のジャンルに分けられていることがあり、店によって、ジャンル分けも異なってくる。聴く側の感覚で分けられるのが現状であり、非常にあいまいなジャンルであるといえる。
第2章 テクノの歴史
1964年に、アメリカのロバート・ムーグ博士がシンセサイザーを開発。現代作曲家のスティーブライヒが60年代の後半、ひたすら繰り返す音楽が作る。その後70年代の後半になり、登場したのがクラフトワークである。クラフトワークとは、元祖テクノと呼ばれるドイツの4人組のバンドであり、彼らによってテクノポップが作られた。さらに、80年代半ばに、それまでに存在していた2つの音、ドイツのクラフトワークに代表される限りなく機械に近いサウンド、そしてアメリカの黒人たちによるグルーヴ感の強いPファンクがデトロイト出身のホワンアトキンスやデリックメイなどの手によってミックスされ、これまでになかった音楽、テクノが誕生したのである。
Pファンクとは、ジョージ・クリントン率いる総勢50人以上からなる集団、もしくは彼らによるヘビーなファンクミュージックのことを示す。
デトロイトでテクノが生まれた理由は、当時のデトロイトの危機的状況を脱出しようとする若者のメッセージによってである。
第3章 テクノの魅力〜ラブパレード〜
ラブパレードとは、ドイツのベルリンで行われていた野外ダンスパーティーである。パレードでは100万人以上の人々が当日の午後2時から0時までの10時間、すっとテクノを聞き続け、そして踊り続けるのである。ラブパレードが始まったのは、1989年、ベルリンの壁崩壊の直前の夏に「LOVE&PEACE」をテーマに行われたデモ行進がはじまりである。ラブパレードに集まる人々にはそれぞれの理由があるが、1つの背景としていえるのは、ドイツの社会的な状況なども関係しているといえる。ラブパレードが人々を魅了しつづける理由は、参加者1人1人が自分なりの表現方法でいかに音楽を愛しているか、いかに生きているかを表現する、表現できる場所であるというところ。また、パレードを一種のフォーラムとして参加者全員に団結感を与え、踊りと音楽でコミュニケーションを取り合うことができ、自分なりに自己表現し、互いに喜び合う場所を提供しているというところにあると考えられる。
第4章 1〜3章までのまとめ テクノに含まれたメッセージ
テクノという新しい音楽は、ただのコンピュータの進化によって生まれたというだけでなく、テクノをつくる側にも、聴く側にも、それぞれの思いや、メッセージがあったから生まれたのだということがわかった。もちろん、ただ単にテクノが好きで聴いているだけだという人もいるだろうが、それだけでは、世界的に広がりをみせるとは思えない。やはり、流行するには、それだけの理由があって、そしてそれだけのメッセージがあったからこそ起こった事実なのである。