ジョン・レノンの反戦運動における情報伝達の特殊性

◎はじめに

  2003年3月20日、アメリカ、イギリスを中心とした「有志連合」がイラクへの攻撃を開始。同年4月9日にフセイン政権を崩壊させたあとは、アメリカによる占領統治を経てイラクに主権が移譲された。今もなお各地でゲリラ的な銃撃戦や自爆テロが続発し、治安は回復されていない。この戦争の大義を問う声は挙がるものの、“戦争”そのものに疑問を投げかける声はあまり聞かれない。9・11のニューヨーク同時多発テロ直後、テレビから“IMAGINE”が聴こえてくる機会が多くなった。ジョンの曲が今もなお平和のために必要とされているのだ。そして多くの人が考えているだろう。「彼が今生きていたなら、このテロやイラク戦争にどのような反応をしただろうか」。何故人々は“平和”とジョン・レノンを結びつけて考えるようになったのか。ジョンの人生・平和活動をみながら、彼は何故“愛と平和”を歌い、どのようにして自らの思想を広めていったのかを探った。

◎第1章 ジョン・レノンの“愛と平和”

 1940年10月9日、イギリスのリヴァプールに生まれたジョン・レノンは、両親離れ離れになり、多感な少年時代を過ごすも、伯母であるミミのもとで愛情に包まれて育った。幼い頃から芸術的才能に溢れ、音楽でもその才能を発揮しようと17歳で“クオリ―・メン”というバンドを結成。ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンの加入などメンバーチェンジを繰り返し、“ビートルズ” と改名。殺人的なスケジュールをこなし、世界的に有名なバンドにのし上がった。人気の上昇に伴い、発言の影響力も大きくなってきたビートルズのメンバーはマネージャーに政治的な発言を止められるも、ジョンはマスコミを前にベトナム戦争反対の意思を表明する。その後オノ・ヨ―コと出会ったジョンは、“どんぐりを植えるイベント”、ジョン初の個展“ユー・ア・ヒア“、“ベッド・イン”、“WAR IS OVER”CAMPAIGNなど平和に関するイベントを次々と開催し、平和の伝道師としての地位を確立していく。1980年12月8日、自宅前で熱狂的なファンであるマーク・チャップマンに撃たれ、ジョン・レノンは息を引きとる。享年40歳。

 ジョン以外のアーティストの反戦活動は、“反戦デモへの参加”、“反戦コンサートの開催”、“反戦歌”の作曲にとどまり、反体制運動において活躍したフォークシンガーのボブ・ディラン、ロックミュージシャンのミック・ジャガーもその限りであった。

◎第2章 反戦運動の広がり

 “ビートルズのMBE勲章受賞に抗議して勲章を返還する元軍人があらわれる”、“雑誌のインタビューで「ビートルズはキリストより人気がある」と発言すると、アメリカの保守的な地域でビートルズ・ボイコット運動に発展し、K・K・Kに命を狙われる”、“ジョンが着用していた小さな丸眼鏡は、眼鏡業界でも「レノン型」と分類されるまでになった”など、ジョンの影響力は大変大きいものであった。

 ジョンはその影響力を生かし、オピニオンリーダーとなってあらゆるメディアを使い、自らの思想を広げていこうとした。音楽雑誌の誌上やテレビ番組でファンとの対話の機会を設け、コミュニケーションすることで誠実にその活動を進めたのだ。

◎第3章 ジョン・レノンの反戦運動における情報伝達の特殊性

 何故ジョン・レノンにそれほどの影響力があったのか。それは、ジョンがビートルズの一員であり、彼自身偉大なアーティストだったからである。「僕たちがモーツアルトを聴くように、100年後の人々もビートルズを聴くだろう」。現在も現役で活動しているポール・マッカートニーはビートルズのことをこう表現している。ジョンが亡くなり25年も経った今もなお、日本でもビートルズやジョンの歌は“洋楽”という域を越えたポップ・ミュージックとして認知され、テレビや映画でも数多くその楽曲が使われている。その認知度の高さがジョンの反戦運動に大きく役立ったといえるだろう。

 ビートルズと同様にローリング・ストーンズのミック・ジャガーやボブ・ディランは人気と影響力があったのだが、この2人はデモ行進への参加、反体制的な楽曲の制作にとどまり、ジョンほどの活動をしていない。ディランはミュージシャンとしての自己表現、ミックは生来持っていた権力に対する反抗心が、自らの麻薬問題での不当な弾圧によって反権力意識に発展し、時代の流れの中で反戦運動へと一時的に向かったにすぎなかった。また、この2人は受け手側との意見交換の場を持たなかったことも、ジョンと大きく異なる。それ以外のアーティストも同様の活動をするに過ぎず、討論の場を設けていなかった。そして最も大きな違いは、ジョンが芸術学校の出身で、芸術的センスに溢れていたこと、パートナーのオノ・ヨーコが前衛的な芸術家であったことにより、彼の反戦活動には芸術性が多く含まれていたことである。“BAG PEACE”や“ベッド・イン”はマスメディアを利用したアート、“WAR IS OVER CAMPAIGN”は広告を利用したアートとして特異な注目を集め、彼のファンならずともその活動を知ることが出来た。

 ビートルズ、ジョン・レノンのファンはジョンの一挙一動に注目し、ファンでない者でも彼の平和活動に関する報道を目にする機会を多く持つことができた。また、芸術的な面からジョンの活動に興味を持った人もいるだろう。様々な角度から思想を広げたことがジョン・レノンの反戦運動における情報伝達の特殊性ということが出来る。

 2004年に第4回目を迎えた“Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライブ”ではコンサートの売上金の一部でアジア・アフリカの子供たちに学校をプレゼントしている。第3回までで合計33校の小学校をプレゼントされた。アメリカのテレビ局“VH1”が発表したクリスマスソング・ベスト20の9位にジョン・レノンの“Happy Xmas(War Is Over)”が選ばれ、2004年もクリスマスを彩り、平和の精神を再確認できたに違いない。ジョンが亡くなった後もその精神を受け継がれているのは音楽の持つ力の大きさが影響している。音楽は完璧な自己表現の場であり、言葉だけで表現するよりも多くのことを伝えることが出来るのだ。ジョンが主張してきた“愛と平和”(LOVE&PEACE)という言葉が生きつづけているのはその証拠といえる。

◎おわりに

 ジョン・レノンは自らの活動で世界各国の政府首脳が突然政策を変えるとは思っていなかった。彼が望んでいたのは若者の心に入り込むことであった。若者が非暴力に賛同したなら、未来は明るいと考えたのだ。しかし、ビートルズ時代を生きていた若者達が徐々に成長し、社会を動かしつつある現在、戦争は無くなっていない。だがジョンの楽曲もまた消えることなく生きつづけている。このことが未来への望みとなっていると私は考える。

 ジョンが現代にどのような影響を与え、どんな結果をもたらしているのかがこの論文の大きなテーマであったが、彼がもたらした結果の確たる証拠を見つけることが出来なかった。また、“どんなメディアでどのようにジョンの反戦運動が伝えられたのか”も具体的な資料を見つけることが出来なかった。しかし、ジョンが反戦運動に至るまで、反戦運動の内容は上手くまとめることが出来たと思う。今後の課題として、先に挙げた反省点と、日本での反戦運動の広がりについて調べ、その特殊性を探っていきたい。

【参考・引用文献】

・ 「ジョン・レノン全仕事」編集・著作:ザ・ビートルズ・クラブ

   2001年 発行:プロデュース・センター出版局

・ 「ジョン・レノン」著者:レイ・コールマン、訳者:岡山徹

   2002年 発行:株式会社音楽之友社

・ 「ロッククロニクル1952-2002現代史の中のロックンロール」

   著者:広田寛治  2003年 発行:河出書房新社

・ 「改訂版 メディア論」 著者:吉見俊哉・水越伸

   2003年 発行:財団法人放送大学教育振興会

【参考WEB】 

・“Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ”

   http://www.dreampower-jp.com/