第一章  ブランドの魅力

 「ブランド」ーこの言葉は、今や日常的に使われており、目や耳にしない日はないといっても過言ではない。

 もともと商標、トレードマークを意味している言葉である。しかし、「BRAND」は、英語の「Burn(焼く)」が語源とされているのである。牧場で飼っているウマやウシがよその牧場のウマやウシとまぎれてしまわないように、目印のために尻に焼きごてなどで印を付けたのが始まりである。これがのちに、製造元が自信をもって作り上げた商品を他社の製品と差別化し、注目される手段としても使われるようになったのである。そして今では、意匠(デザイン)、記号、シンボル、名前などが結合したイメージとなっているのである。

 一般的には商品の出所を明示する印(マーク)だが、自社製品に威信(プレステージ)を与え、顧客の心にほかの製品との差別感を与える狙いが強く、商品の顔ともいえるのである。

 伝統と個性と職人芸が生きる世界だけに、有名ブランドのカタログなどには、「イタリア職人技術の枠」とか、「ヨーロッパの伝統と風格」「英王室御用達」などのキャッチコピーが付けられ、消費者の購買意欲を一層くすぐっている。

 有名ブランドともなると、商品の出所を明確にするのはいうまでもなく、ブランドを名乗る以上、その商品の性能や品質に対する完全な保証を伴っている。

 そして、その意義は4つ考えられる。1つは、商品の信頼性を維持し、増大することである。2つは、競合品との間に一線を画す商品の差別化手段となり、価格競争の優位な展開と市場コントロールを可能にすることである。3つは、商品に独自の物語(ストーリー)と性格(キャラクター)を与え、魅力を増大させることである。4つは、ブランドの信頼性が高まれば、高価格の維持を容易にし、反復購入を促す販売促進機能も持つようになるのである。

 いずれにせよ、所有者や着用者を優越感に浸らせ、満足感を与えるのは、それらの品質やデザインとともに、そのブランドが発散するオーラ(ラテン語で物体から発する独物な雰囲気のこと)ともいわれているのである。

 いったん名声を得たブランドは、その名声だけで製品の内容とは無関係に価値のある商品となるわけではないのである。その裏には、長い年月と開発に要した膨大な投資によって得た最高の品質を保ちつつ、新たな製品を作り続けなければならないのである。

 なぜ、日本国内には有名ブランド商品がこれほど満ちあふれているのだろうか。

 貿易の自由化や円高、日本の国際的な知名度の高まりなども手伝い、世界のすみずみから色々な商品が日本に輸入されている。なかでも、欧米を中心とするファッション関連のブランド品の輸入は年ごとに増加している。海外の有名商品を紹介している「世界の一統品図鑑」といった本によると、輸入代理店が数百社に増えていることがわかる。ブランド品増加の背景には、横文字に弱く、西欧に対する強いあこがれがあるほど、日本人特有の国民性を無視できないのである。

 人間には、洋の東西とを問わず、人の持っていないものを持ちたいという欲求や習性があることは否定できない。しかし、日本人には長かった鎖国の反動による海外の一流有名品を通して「西洋崇拝」の意識が強く残っている。

 明治以来、西洋的な文物が日本に輸入されたが日常生活まで西洋化されたのは一部の上流階級に限られていたのである。ところが、敗戦後、生活様式が急速に西欧化され、日本の伝統的な生活は「旧式化」されたのである。高度経済成長で家庭にゆとりが出ると、より良い商品を求め始めたのである。だが、何がいい商品なのか、自主的に判断できないから有名な物、高い物を買えば間違いがないと考えるのが普通になったのである。

 日本のファッション関連商品が世界の一流品に後れをとっている理由は、西欧風の生活にあこがれる半面、純日本的な生活実態から脱却できないことにあるのではないだろうか。それゆえ、有名ブランドを受け入れる日本人の感覚や土壌には、「西洋に対する強いあこがれ」があるのである。

 欧米では社会的な地位の高い人や皇族、貴族などに愛用されている有名ブランド品が、日本では新人OLやルーズソックスの女子高校生までが買いまくるなど、異質な消費行動と”様にならない”ファッション感覚を増大させてしまっているのである。

 低成長下で消費者の買い控えや節約意識が高まっている中で、独身OLを中心に有名ブランド商戦は不況知らずの路線を突っ走っているのである。

 こうしたブランド志向の、いびつで異常ともいえる消費の背景には、最近の女性たちの間に、皆と同じ格好をするのはおかしいという発想がなくなったと考えられるのではないだろうか。

 つまり、自分に自信がなくてコーディネートの方法もわからないから、最終的に安全策のブランド品に安住してしまうのである。物を自分の目で選ぶ自信がないから皆が持っているものに身を包んでおけば安心だと考えてしまうのだろう。

 ブランド選択にあたっては、そのデザイナーの主張や生き方、ひいてはデザイナーの容姿にどれだけ魅力を覚えるか、という視点がもっとも大事なことであり、また、もっともオーソドックスなのではないだろうか。

 体に身につけて、それが外部から認識されるのであるから、そこには自ら”主義・主張”が含まれる、とみられることも、否定できないことである。その表現の手助けをしてくれるのが、すなわち「ブランド」なのである。