第一章 封建結婚と新婚姻法下の結婚


  中国では(1) 、長い封建制度から開放され、女性たちも女性解放を現実のものにした。実際、中国女性は社会進出を行い様々な職種、職業に従事してゆくようになっている。こういった様に都市の女性たちが、先進国の女性と同様の意識に目覚めている一方、古い伝統的社会が存続している農村の状況は、都市との隔たりが大きく、そこには根強い封建的意識が見られるのだ。ここで、様々な封建的意識からくる封建的結婚について述べてみる。


 具体的な例を見てみると、例えば農村の女性たちの結婚の多くは、本人だけではなく、むしろ親たちの意思によって決められたものであった。これを、 「包弁結婚(請け負い結婚)」と呼ぶ(2)
。いわば、私有財産として扱われてた女性たちには、子供を生むことと、労働が最大の義務であって、それを求められ、こういった封建的な結婚が行われていたのである。


 男児優遇の観念の強い農村では、頻繁に行われていた女児の間引きは、男女の人口比のアンバランス化を招くことになった。その結果、結婚難に陥った男たちは、どうにか金を工面して、妻を獲得しようとした。そうしたものを「売買婚」と呼び、その代表的なものが、「童養嫁」である。これは、トン・ヤンシーと呼び、息子の嫁としてもらわれたり、買われたりしてきた女児で、その女児は、往々にしてその息子よりも年齢が上で、実際には、息子の世話などをする労働力として利用されたというものである。


 また、一人で妻を買い取ることの出来ない、さらに貧しい農民たちは、二、三人の男によって、共同買われた妻である「移妻」、時期を限って他の男に借りられる妻である「典妻」や「祖妻」の形をとらざるを得なかった。こうした非人間的な方法しか持てなかった男性にも増して、買われた女性たちは、「政権」、「族権」、「神権」、そして「夫権」を受けて、厳しい状況に置かれていたのである。


 また、旧社会の女性たちの状況を規定する大きな役割となっていたものが 「女訓書」によって説かれている(3)
。ここでは、女性たちのあるべき姿というものが形成されていった。内容を述べてみると、「三従」。これは、父、夫、子に従うということ。「四得」。女性たちを律した婦徳、婦言、婦容、婦功の四つの得のこと。「七去」。父母に従わない、子が生まれない、姦淫、しっと深い、悪病持ち、おしゃべり、盗癖のどれかに該当すれば離別される。こういった文書も、当時の女性たちに対する求められるものとして端的に示していると言える。旧社会では、この七去を理由とした男性からの離婚申し立ては認められていたのだが、女性の側からの離婚は認められていなかったのだ。
 その結果、封建的結婚を解消しようとして沢山の女性たちが離婚申請に殺到したのである。しかし、当時、貧しい農村の男たちは、なけなしの金をはたいて、ようやく妻を手に入れることが出来たのだ。そうした彼らの妻たちからの離婚申請への反発は強く、様々な迫害が加えられたりしていた。当時、女性たちは封建的結婚から抜け出せなかったのである。


 1949年、中華人民共和国建国後、こういった封建的結婚を一掃し、それと同時に男女間の平等な地位と権利を法律の面から保障しようという試みが、積極てきに行われた。
 具体的には、1949年9月、「共同網領」の第六条で、男女平等が規定された。そして翌、1950年、5月に新婚姻法が公布施行された。この婚姻法そのものについては、既に民国時代に制定されていたが、この年のものは、中華ソビエト共和国の内容を継承して発展したものと言える。
 
八章二十七条からなる新婚姻法の主眼は、封建的な婚姻制度の廃止と、民主主義の婚姻制度の実行にある。この具体的な内容として、婚姻の自由、重婚(4)畜婚(5) 、童養息の禁止、一夫一婦制の実行、男女平等(権利)、離婚の自由などが規制、規定された。封建的結婚の内容でも述べたが、離婚の自由というのは、当時の女性にとって、難しい問題であり、簡単には実現しえないものであった。1951年、12月6日の人民日報の記事では、河南省のある村の嫁殺害事件について伝えている、それによると、離婚申し出をした嫁が、夫の他に、姑、一族によって責め殺された。
 しかし、村の農民代表会や郷人民政府の委員も彼らの行動を支持したというのだ。そして、この事件は特殊な例ではなく、この一年間だけで、一万人以上の婦人が婚姻問題で殺されたり、自殺に追い込まれたりしていると伝えたのだ。
こうした混乱を解決させるために、妨害行為が規制され、1953年からは全国的に婚姻法貫徹運動が展開され、宣言活動が、積極的に行われてゆく過程で、新しい形の家族を築く努力がすすめられていったのである。


 その後、政治、経済、社会、の状況の変化に応じて、婚姻法は、五章三七条に改められ、1981年、1月に改められ、1981年、1月に新たに施行されて現在に至っている。この補充、修正では、人口政策が大きく反映されて、条文に盛り込まれていることが特色として指摘できる。老人の合法的権益の保護、計画出産の実行が加えられた他に、結婚年齢の変更、傍系血族間での結婚の禁止も修正された。
 結婚年齢は男性が20歳、女性が18歳だったものが、男性は22歳、女性は20歳となった。傍系血族間は三代から五代へ変更となった。また、離婚条項も、その内容が改められている。婚姻法は、男女平等実現の後ろ盾という役割と共に、現在では人口抑制政策を支える法的根拠としての機能が重要となってきていると言えるのだ。
最後に、その主な条項を見てみる。


第二条    婚姻の自由、一夫一婦制、男女平等の婚姻制度を実行する。 
        婦人、児童、及び老人の合法的権益を保護する。
        計画出産を実行する。
第三条    請負、売買による婚姻及びその他婚姻の自由干渉する行為を禁ずる。 
        婚姻を口実として財物を強要することを禁ずる。  
        重婚を禁止する。                                                                                     第四条    結婚は男女双方の完全な自発的意識によらなければならず、いずれか一方が他方に強要されることは禁ず。
        また、第三者がそれを干渉することは許されない。
第十三条  夫婦は共有する財産に対し、平等の処分権を持つものとする。
第二四条  男女双方とも自発的意識により離婚を望む場合、離婚が認められる。


こういった法律上の婚姻は実際の結婚にどう影響されているだろうか。