第二章 フランスとディズニーランド

 では、アメリカ人にとって故郷そのものであるともいえるディズニーランドは、アメリカ以外の人にとってはどうとらえられているのだろうか。
 

現在、アメリカ以外の国では日本とフランスの二つにディズニーランドはある。文化的背景の違うこの二つの国にはディズニーランドはどのように捕らえられているのだろう。


 特にフランスにあるユーロ・ディズニーランドは完成する前から様々な議論の的になっていた。フランス言語界はこのユーロ・ディズニーランドに不安の超えを上げていた。しかし、ディズニー社側はこの不安の声をよそにこのフランスでの事業に楽観的な様子であった。第一の理由は、人口密度の高さである。ユーロ・ディズニーランドから車で二時間圏内に一700万人が、飛行機で二時間圏内のところになると3億1000万人の人口が住んでいることであった。


 また、ヨーロッパ人はよく知られているようにアメリカ人以上に長い休暇をとる習慣があり、年間一ヶ月から一ヵ月半というケースも珍しくないという。さらにコペンハーゲンのチボリ公園を除けば、ヨーロッパにはディズニーランドに匹敵するような遊園地らしきものが存在しないことなどがディズニー社の希望的観測を支えていた。また「東京ディズニーランド」の成功もヨーロッパ進出しようとしていたディズニー首脳を大いに力付けた。ディズニークラシックの多くはヨーロッパのおとぎ話をベースにしている。そのディズニークラシックに基づくテーマパークがまったく異なる日本の大衆に受け入れられヨーロッパで受け入れられないわけがないとも考えられたのであろう。


 しかし、フランス人はこのユーロ・ディズニーランドに対して賛否両論であった。文化的伝統を共有していることが強みとなると考えられていたが、そのことが逆に弱みともなってしまった。


 フランス人はヨーロッパの中でもとりわけ自国の文化にプライドが高く、アメリカなどから入ってくる文化をたやすくは受け入れてはくれないし、政治的にも独自のスタンスを取ろうとする国でもある。「フランス人は英語を話せても話さない」とも言われていた。ましてやアメリカ文化の象徴ともとれるディズニーランド的な文化には拒否反応をも示した。ディズニーランドで見られる「アメリカン・スマイル」に我慢ならないと言う。「パリはニューヨークよりもずっと北で、気候が悪いことが心配だ。それに、ディズニーランドは秩序正しい運営が自慢らしいが、お客や従業員のほとんどがフランス人ということになっては、列は乱すし、文句は言うしで、園内がメチャクチャになってしまう。」「ディズニーランドはワインもビールもご法度だし、従業員の口ひげも派手な化粧も禁じている。そんな自由の侵害をフランス人が黙って許すわけがない。」とも言われた。フランスのジャーナリズムもユーロ・ディズニーにさまざまな蔑称をたてまつった。「アメリカ合衆国の五十一番目の州」「フランスの魂に付いた黒いシミ」「啓豪の都市(パリのこと)に迫る異文化の侵略」「フランス文化という血を汚すアメリカ菌の母細胞」「世界の均質化への恐るべき一歩」


 しかしその一方で、別の見方をするフランス人もいた。それは若い世代に多い。あるフランスの少女は、こう語っているという。「私たちの世代にとってはディズニーは、私たち両親の世代にとってのグリムやペローにあたる存在。私には、おとぎ話といえばディズニーしかありえない。白雪姫の姿にしたって、ディズニー映画のあの黄色いスカート、ブルーの上着、黒髪に赤いヘアバンドのスタイルじゃなきゃ信じられないわ。カリフォルニアのディズニーランドへは三回行ったけど、何度行っても面白い。あそこのファーストフードも大好き」この少女考え方は若者のディズニーに対する考えの代表的なものである。もう少し後になると「白雪姫」や「シンデレラ」の原作者がウォルト・ディズニーであると信じきっている子供たちもいるぐらいである。こうしてユーロ・ディズニーランドは賛否両論と様々な期待と不安の声の中で完成された。


 その後ユーロ・ディズニーはディズニー社の期待に反して、開園の日にもパークに入場したのは予想の半分の6万人に過ぎなかった。最初の会計年度の半年間で3500万ドルの赤字が出ると予想された。事実、年間を通じて営業した最初の年である1193年の入場者は、予想の1100万人を5パーセント下回り、1045万人に終わったという。はっきりいって失敗であった。それは、やはりフランスやヨーロッパの人々をよく理解していなかったこと原因の一つであった。


 現在はユーロ・ディズニーランドではなくディズニーランド・パリと名称を変えられた。一時期は経営困難に陥っていたが今はすっかり立ち直っている。フランス人の気質が変わってきたということもあるのだろう。また、ディズニー社側もアメリカのディズニーランドにはないフランスならではの工夫もほどこしたからであろう。実際、ディズニー社はフランス人からの批判の的となっていたワイン禁止を取りやめた。またディズニーランドのシンボルであるシンデレラ城はやめ、フランスの城をモデルとした眠れる森の美女の城を新たにシンボルとした。またアトラクションとは無関係であるオブジェなどもあるというの特徴である。ハイカルチャーを好むフランス人を意識しているということなのであろう。


 ディズニーランドがヨーロッパにしかもフランスのパリにできるということがジャーナリスト達をはじめあらゆる人々の冷静さを失わせた。批判をくり返す人々、喜ぶ人々、その一つ一つを見てもただの遊園地に対する反応ではない。ディズニーは一つの文化である。そして、ディズニーランドに対する人々の反応やパークの内容を見るだけでフランス人の気質をも知ることができるのである。