第3章 二人の王佐の才の比較
孔明と周瑜の活躍を見たところで、ふたりがどのように主君を補佐したのかを箇条書きでまとめてみる。
孔明 *流浪の劉備に「天下三分の計」を提示する
*劉備を初代蜀漢皇帝に即位させることに成功する
*劉備の死後、臣下としての礼を尽くし、劉禅の為政を助ける
*劉備の意志を継いで、魏への北伐を行う
だいたいこんな感じである。主に内政による功績が大きい。臣としてのマイナスポイントを挙げるとすれば、夷陵の戦いの際、関羽の仇討ちをしようと出陣する劉備を止められなかったことである。
周瑜 *孫策に付き従い、江東の地の平定に貢献する
*孫策死後、臣下の礼を取って弟、孫権を盛りたてる
*魯粛を推挙し、そこからの人脈を辿り、多くの人材発掘に尽力
する
*赤壁の戦いにおいて、水軍大都督として緒戦で勝利を収める
周瑜は軍人という印象が離れない。戦での功績も多い。孔明同様、マイナスポイントを挙げるとすれば、孫策は一人で狩に出掛けているところを刺客に襲われた。最も親しい立場にいながら、孫策の軽率な行動を止めさせることができなかったということ。
多大だが地味な活躍の孔明に対し、常に表舞台に立ち華やかに活躍した周瑜。一体でありながら対極である、陰陽の関係のようだ。そう、この二人は相容れぬように思わせながら、実はとても似ているところがある。それは、自分を認めてくれた主君のために、意志を継いで粉骨砕身したこと。そのためならば、自らの命さえ顧みなかったことである。むしろ、自分の命を戦略の一駒として使う、それだけの強い意志が、二人にはあった。
病の身にありながらも、強大な魏に立ち向かい、秋風に散った孔明。病であることをひたすら隠し、思いは遥か西にあった周瑜。非常によく似た、二人の天才だった。