第3章 台湾へのイメージの変化

 私が今まで台湾について知っていたことは、ほとんどなく、だから台湾のイメージがあまりうかばなかった。台湾ってどんな国だろうと考えて一番に思いついたのは、中国の下あたりにある島国で中華人民共和国とは別で「台湾」という一つの国だと思っていた。他に知っていることはないか考えると、たしか昔、日本が植民地として支配していたと授業で習ったけど台湾に対してどんなことをしていたのかなど詳しいことは、全く知らない。そして台湾といえば最近よくテレビで屋台の料理を芸能人の人たちが食べ歩いているのを見て安いのにおいしそうだなと思っている。けれど「どの料理がおいしそう?」と聞かれたとしても料理名は一つも思い浮かばない。あと、私の家ではバナナは絶対に台湾のものを買っている。台湾のバナナが甘くて一番おいしい。台湾で大きな地震があったのかは覚えているが、何年にあったのか、その地震でどれくらいの被害がでたのか、今はどうなったのか、これも詳しいことは知らない。

 このように私は今まで台湾について誰かに説明したり教えてあげられるほど詳しく知っていることがない。どれもなんとなくしか理解できていなかった。

 日本人で韓国や北朝鮮の位置が分からない人は、まずいないだろう。しかし、台湾の位置が分からない人は大学生であれ多いと思う。世界で一番反日的な国のことはいろいろ学校で教えていて、世界で一番親日的な国の位置さえも国民が知らないという国は世界中捜しても日本ぐらいではないだろうか。

 哈日について調べていくうちに、台湾の若者たちはこんなに日本の若者文化に興味を持ち、理解してくれているのに、私はこんなにも台湾のことを知らない。それが情けなく感じた。台湾の人々は本当に純粋に日本で作られたものたちを愛し、日本の流行を受け止めてくれる。自国の愛すべきものを愛してくれる他国がいるというのは、なんだか気恥ずかしくて、嬉しいと感じる。

 私の今の台湾に対しての印象は、面白い国、そしてとてもいい国だということだ。島国という共通点、位置関係。日本統治時代に共有した価値観があるという事実。台湾人は概して理知的で文化レベルが高く、親切、正直、明朗、清潔で公共心がある。人の優しさに触れる国。異文化の中で日本らしさをそこかしこに感じる国。知れば知るほど面白い。

 マスコミという媒体を通し、日本の若者文化は台湾の人々に伝わり、受け入れられている。日本はヨーロッパやアメリカの影響を受けて、服を始めとした「もの」を創り、それが台湾、そしてアジア諸国へ伝わり、そこでまた、新しい文化が出来てくる。自分の知らないところで創った「もの」が誰かの新しい解釈で新しい「もの」に生まれ変わっていく。それはとても面白く、楽しい事なのではないか。

 台湾には哈日教祖と呼ばれるぐらい日本のことが大好きな人物、「哈日杏子」がいる。彼女は初めて日本に来た時、目に見える景色、鼻に入ってくる匂い、耳に聞こえる音、手に触れるモノ、その全てが自分のよく知っているものだったので、驚いた。まるで母親のふところに帰ったような、まるで心の故郷にもどったような、そんな温かくて心休まる感覚だったらしい。

 しかし、そんな彼女でも日本に来てギャップを感じたことがある。

 まず一つ目に、日本ではあたりまえのような感じになった街の路上でティッシュを配る姿。何人もの人が待ち構えていたように、胸もとにティッシュを突きつけてくる。シャンプー、コンディショナー、化粧品サンプルセットなどの試供品も気前よく配られている。こんな光景に哈日杏子が驚いたということは、台湾ではティッシュや試供品が路上で配られているという姿がほとんどないのであろう。これは、日本と台湾とでは、消費文化が違うと考えることができる。日本では宣伝のために試供品を配り、それが無駄になっても、もとがとれるのだ。日本は台湾に比べて、物を無駄に使っていることが分かる。

 二つ目に、日本での中華料理の値段だ。中華街での包子(中華まん)は1個が300円で70元ちょっとする。台湾では15元で買えるのだから、4〜5倍の値段になる。高いのだからおいしいのではないかと私は思うが、台湾のものの方がおいしいそうだ。日本で中華料理がこんなに高いのは、高級料理として扱われるからである。台湾ではこれが庶民の味なので、安くで食べることができる。日本での庶民の味は、白ごはん、味噌汁、お漬物だ。これらは、中華料理より安く食べることができるだろう。

 台湾では日本のことをよく知っていると思っていても、実際日本に来て初めて分かることもあるのだ。テレビやインターネットで、たくさんの情報が流れていても、それだけでは全ての情報が伝わっていないのだろう。

 しかし、日本と台湾は正式な外交関係はない。政治・経済・歴史、国と国とを結ぶ上で、これほど重要なテーマはないと思う。しかし、一個人の結びつきで、まず話題の中心になるものといったら、生活なのではないだろうか。人々の生活から発展していった文化・娯楽、これらについて対話する事が、どれほど人間どうしの結びつきを身近なものにしてくれているか。他国を知る入り口として、文化・娯楽がある。その入り口をきっかけに、お互いの国の歴史や価値観を一緒に共有していくまでに発展できたら、どんなに素敵なことだろう。

 それにはやはり私も含めた日本人がもっと台湾に対して認識を持つべきだ。台湾での哈日症は一過性に終わってしまうかもしれない。今のブームやムードはずっと恒常的に続いていくものでもない。台湾の人たちは移り気らしい。実際に最近では哈韓族という韓国のものが好きな人たちも増えてきている。当事者ではない、日本人の私たちにはどうすることも出来ないことなのだろうか。台湾の人々に表面だけでなく、もっと日本を深く知ってもらう為の材料を提供すること、(例えば日本の現状を、ファッションや漫画などの若者文化だけに限らず、政治や経済でも興味を持ってもらう。)それと同時に、日本が台湾を知るための糸口を提供すること、(例えば台湾で日本のテレビ番組がたくさん放送されているように、日本でももっと台湾の番組が見られるようになればいい。)今を次世代に繋げていくこと、そのくらいは出来るはずだ。

 若者とは、常に社会、大人に対して疑問を持ち、反抗する存在ではないだろうか。次世代が疑問を持たず、問題を発見することの出来ない社会は、物事が流動しない、何も変わらない社会となってしまうだろう。若者であるということは、親の世代、そのまた親の世代の築き上げた社会、経済に支えられているということだ。つまり、社会、大人というものは次世代の為に、場を提供することができ、また、必要なのではないだろうか。それを利用して、人は問題を発見し、思考する。そういった場を提供していくことは、巡り巡って、次世代の活躍する国際社会への貢献となり、国益となっていくであろう。