第一章 世界に存在するミイラ

      
 世界には、様々なミイラが存在しているということはすでに、知られている。そのミイラには、人工的に意図して作ったミイラと、自然条件の偶然によって作られた自然ミイラとがある。

ミイラとは医学的には乾性壊疽といい、組織に酸素がいかなくなって臓器が死ぬときに、腐敗菌感染がおこらず、加水分解酵素も働かず、乾燥したまま、懐死に陥ることを指す。局所的なミイラ化はよく下肢におこる。閉塞性血管炎のため足の先に血液がいかなくなって、ミイラ化するのである。

 世界でもっとも数が多く有名なミイラは、古代エジプトのミイラと、南米ペルーなどに残るインカ時代のミイラである。エジプトではミイラを作るときに、木から採れる香油「ミイラ」をたくさん使ったので、これが「ミイラ」という名の起こりと言われている。また、ペルシア語では「ムミアイ」といい、英語の「マミー」や中国語の「木乃伊(ム・ナイ・イ)」も同じ語源と思われている。

 では、実際にどのようなミイラがあるのだろうか。そこでいくつかの例をあげてみることにする。
まずは、エジプトのミイラについてである。前にも述べたとおり、数多くのミイラがあるところである。エジプトのミイラは人工ミイラの代表的なもので、内臓を取り出したり、熱や炭酸ナトリウムなどの薬品を用いて乾燥を助けたり、手のこんだ加工がほどこされている。

 ところでなぜ、ミイラが作られたのだろうか。古代エジプトでは、オシリス神話がミイラ作りの背景に大きく関係している。オシリス神はもともと人々に農業と信仰を教えた名君であった。大空の女神ヌトの最初の子であり、兄弟神セト神に殺されるが、イシス女神の妖術で再生復活をし、冥界の王となる。自らも再生復活を掌る神で、緑色に塗られた顔と手に殻竿(ネケト)と勿(ヘラ)を持って表され、死者の最期の審判をする。
やがて、人は死ぬと皆オシリス神になって来世で行き続けるというオシリス信仰が庶民にも広まる。このオシリス神話は蘇生の呪術的信仰儀式、ミイラの布巻きなどにも深く関係している。
 
 では、死者はどこに行くのだろうか。深作光貞(1977)によると、死者はこの世に生き返るのではない。神話でオシリスは蘇生して死者の国の王になったように、死者の国に蘇生するのである。古代エジプト人たちは墓場の中の死者の、死者としての蘇生を信じていたのだ。死者として蘇生したら、もはや再び死ぬことのない永遠の生命を確保したものとさえ考えていたのである。
 
 エジプトのミイラは約六千年前から作られていた。時代と共にミイラ製作法が改良されていき、BC約1100−330年頃の前半にピークに達した。しかしその後、様々な時代を経て、かつての輝きを失い次第に衰えていく。紀元後も数世紀間はミイラ製作が続けられたが、やがて終焉することになるのである。
 
 次にインカ時代のミイラについてである。これも古代エジプト同様、有名であるといえる。インカのミイラは死体を木綿の布で巻き様々な姿勢で埋葬したものが多い。

 インカとは、十五世紀から十六世紀初頭まで、南アメリカの中央アンデス地方(ペルー、ボリビア)を支配した古代帝国である。もともと君主、部族の長を「インカ」と呼び仰いでいたため、この名が民族全体を指すようになった。インカ族はケチュア族とも呼ばれるペルーインディアンの一集団であった。

 インカ帝国では皇帝は太陽の子とされ、現世における神として崇拝を受けた。一般に死者は子孫を保護するものとして尊敬され、多くは死体をミイラにして保存し、事があれば持ち出されたが、皇帝のミイラは神として神殿に祭られた。しかし、現在インカ帝国歴代の皇帝たちのミイラはいずれもない。侵略者のスペインが首都のクスコに侵入したとき(1532年)、焼却してしまったのである。
 インカ帝国では、人間の死後は復活が信じられていた。胎児のような形になるよう体を折り曲げ、それを母親の胎内に似せて作られた墓穴に入れた。そうして、ワラと粘土で密封して、昇天した魂が再び地上に降りてくる日を待っていたのである。

 この他にも世界各地にはミイラが存在している。簡単に説明しておくと、エクアドルのヒバロ族はサンサと呼ぶ干しミイラをつくった。ヒバロ族がサンサを作るのは、死者の霊を恐れるためで、儀式によって死者の霊を完全に抑圧して奴隷化するためである。

 ニューギニアのクカクカ族は、アマビアカというミイラをつくる。死者は台の上に手足を固定されて、下から生木を焼いて燻製にされる。ミイラにされるのは、戦の犠牲者、酋長、戦士、若い女性に限られるという。クカクカ族のミイラ作りは、死者から生者が殺されないよう、死者への恐れから起こったという。同じような燻製ミイラ作りは、トレス海峡東部の島々、南東オーストラリアのウンギ族、マラノア族、ナリンジェリ族などにもみられる。

 アリューシャン列島のアレウト族のミイラは前の二つの例とは異なり、死者に対して恐怖を感じないで、愛情をもって眺め、重要な人物の死体を鄭重に保存した。
 チベットのポタラ宮殿には、ダライ・ラマやパンチェン・ラヤの、金色の仏像のように仕上げられたミイラがある。その他、中国にも「肉身仏」や「真身仏」と呼ばれる、入定ミイラがある。
 このように世界各地によって、様々なミイラがあるということがわかる。また、死者に対する考えや思想、文化などを知ることができた。 では、日本の場合はどうなのだろうか。ミイラはどういういきさつで作られたのだろうか。