第4章 ピラミッドの建造方法
最後に、簡単ではあるがピラミッドの建造方法を述べておく。ヘロドトスによるとギザの大ピラミッドは10万人の建造労働者が20年かけて造ったといいますが、現在では、4千人の建造労働者が1年中働きナイル川氾濫期に農民が大勢手伝ったといわれている。ピラミッド近くの遺跡を調べてみると、建造労働者は奴隷的な扱いを受けたのではなく、仕事が終わって労働者専用の家に帰宅したらビールを飲み豊かな食べ物を食べていたと推測されている。
巨石はナイル川沿いの石切場から帆掛船でピラミッド近くの河岸まで運ばれ、そこから斜面の道(斜道)を大勢の人々が木のそりを丸太(ころ)の上を滑らせてピラミッドの上まで引っ張って運んだと考えられているのだ。斜道はピラミッドが高くなるにつれ、長く高くする必要があり、また、車輪が発明されていたので低くて頑丈な荷車を利用した可能性は十分に考えられる。一方、螺旋状の階段を設けて上まで運んだという説もあるが、これでは角を運ぶのは無理だと思われる。
さらに、ピラミッドは、設計図や模型を用いて建造されました。建造の際には、定礎の儀式も行われていたのだ。石材の量、道具の種類および建造進歩状況の記録を執る書記という役割も存在しました。