第3章 治水とピラミッド

 もしエジプトにナイル川が流れていないとした場合、果たしてピラミッドはつくられているだろうか。それはもちろん、つくられていない。ピラミッド築造の動機は100%ナイルにあるといってよい。だが、人は川がありさえすれば常にピラミッドを必要とするわけではない。ナイルが特別の条件を備えた川だからである。
 ナイル川は毎年氾濫を繰り返すが、その下流域は平野の東端が山岳地帯であり、西端が砂漠に連続しているため、氾濫を契機に流路が西へ偏ろうとするのは否めない。しかし、エジプトという国は、ナイルの東岸から良質の岩石や金属が産出され、それらを運搬する手段がナイルの船便に限られている関係上、川筋の西偏を看過するわけにはいかない。そこで川自体を東岸山岳にひきつけることが計画された。
 さてここで、ナイル川を平野の東側に固定するためには、西側を隆起させなければならない。堤防を築くのもひとつの方法だが、農耕のために氾濫はかかさないので、連続的な遮断壁を設けるわけにはいかない。平野の東限が決定しているのは、そこに山があるからである。それなら、西限を画するためにも山が欲しい。しかし、西岸下流域には山がないのだから致し方がない。あとは人間の手で山をつくるしかない。文字どおりの造山運動である。だが人間が山をつくるなどということがありえるのだろうか。実は、それは確かな形で存在した。何を隠そう、それこそがピラミッドだったのである。
 古代エジプト人はナイル河岸に堤防を設けるかわりに、ピラミッドを導入した。これは、彼らにとって必要な氾濫を妨げることなく、また、増水時の西側砂漠への水の流出を阻害せず、しかも上流から運ばれる泥土を推積してくれるので農耕上たいへん有効な築造物といえる。しかし、それがあまりにも巨大であり、技術的に優れているため、その目的や機能とは関わりなく、周辺の国々を心理的な意味で震撼させたであろうことは間違いない。
石の山のピラミッドは斜面に土砂を推積し、周囲の丘を高くするはたらきをもつ。その丘にはピラミッドが載っているのでそれが重石となって洪水から土地を護り、ナイルの流路が西方砂漠に偏らないようにしてくれる。ただし、複数のピラミッドが障害物の役割を果たすとしても、ピラミッドは堤防ではないので、水はその隙間から砂漠に抜けていき、平野内には土砂だけが残留する。必要な泥だけが残り、不要な水は捨てられるのであるから、それはふるいのような働きをするといってもよい。それに、南北に並ぶピラミッド郡が連山のような形になり流路を明示しているので、ナイル川はその内側をはずれ外側の砂漠には出て行きにくい。つまりナイル川は、氾濫時における水域の西限をピラミッドによって規制されている、といっても過言ではない。これは現在、断続堤として知られる<霞堤>と同様の機能をもち、洪水が終わると川筋は再びもとの状態に戻るのである。
 単なる石積み立体、とはいっても、そのままだとどうしても城砦のごとく見られてしまう。それでは困るので彼らは一計を案じ、これを墓の体裁にした。内部には通路をつくり、複数の小部屋をつくる。そして外部には神殿をつくり、参道まで通してしまう。これでは誰が見ても、ピラミッドは神殿つきの墓だと思うだろう。そして、そこには王のミイラが納められ、遺品または葬送品としての宝物が納められるだろう、これだけ立派な墓の中にはさぞかし高価な品物が隠されているだろう、と人々が想像するのも無理はない。しかし、そう思われるほうがむしろ都合がよいともいえる。そこに、王朝時代を通じ最大級の治水および利水政策が企図されていることを周囲に看破されるよりどれだけましかわからない。それがエジプトの将来のために関わる重要な施設であることがわかると、次にそれが攻撃された場合は、痛恨のアキレス腱にもなり兼ねないからである。
 以上で、ピラミッド築造の動機がはっきりしたと思う。つまり、ピラミッドはナイル川を平野の東端山岳に固定するために建てられたのである。不可能を知らぬ王様が、東岸の山岳に匹敵する大地の高まりを、<ファラオの山々>という名目で西岸にも持ってこようとした、と物語風に眺めることもできる。だが実際の動機としては、単なる王のわがままや自己満足として把えるのは正しくない。それはむしろ、エジプトという国家と重なる行動として解釈すべきであろう。ナイル川の利用とその安定のためにピラミッド築造の方法が採用されたとすると、彼らはまさに、エジプト人にとってかけがえのないものを護るために、人類の為し得る窮極の石造物を発案し、これを活用しようとしたことになる。
 ピラミッドが水流を制御する立体であるための物的な証拠といえば、それは何といってもピラミッドそのものを取りあげる以外にはないだろう。材質が石であり、構造が積み上げ方式をとっているため、その物理的性質として耐久性、高層性を目指したのは間違いないが、もっとも注目すべき点は、その全体的形状が正四角錐ということであろう。
 このような形のものはどこにでもありそうでいて、実は周囲を見渡してもそれほど多くはない。敢えて言うならば住宅のとんがり屋根の形に似ており、これも雨水すなわち水に関係ありといったらこじつけになってしまうだろうか。
ピラミッドを堤防としてみると、それは断続堤のひとつ霞堤と同じであり、氾濫時の水は複数の筋となって西方砂漠に流出するが、本流そのものの道筋は変わらない。すなわち、西岸が高まることによって平野の位置が確定し、激流によって流路が変わろうとしても、ピラミッドが要石となってそれを阻止し、ナイルの位置はいつのまにか東方山地よりに戻っているのである。
 このように、ナイルの安定につくしてきたピラミッドも、現在のように川の状態がダムによって管理される時代にあっては、その意義が喪失し、西方の砂漠に取り残されたように見えるのも致し方ないことである。それでもなお、その壮絶なつくりゆえに、4500年の歳月に耐え今に残るピラミッドの存在そのものが、制水機能を推測するための最大の物証ということができるであろう。