第1章 エジプトについて

 まずはピラミッドのあるエジプトについての説明である。
エジプトの土地は、一般的には平らで南の内陸部では標高約500m以下、デルタを含む北の地中海よりの部分はさらに低くなり約200m以下である。ナイル側の東側は山岳地帯で、紅海沿岸にはエジプトの高峰ジェベル=シェイブ=エル=バナット山(2187m)を含む1000m前後の紅海地帯が南北に連なっている。それに比べナイル川の西岸は比較的平らで、山らしい山はない。
 エジプトの国土の90%が砂漠で、南から北に向かってナイル川が流れている。人々は、川に寄り添うように生活し、耕作地の広さはナイル川の西岸を合わせて約10km、広いところでも20km以内には納まってしまう。砂漠には点在するオアシスを除き人は一人も住んでおらず、砂漠はひっそりとしている。
現在のエジプト=アラブ共和国(エジプトの正しい国名)の総面積は100万平方kmで日本の約2.6倍もあるが、人口は約5100万人で日本の約2.4分の1である。だが少ない耕地に人口が集中しており、実質的には世界最高の人口密度を示している。
 農業生産としては、小麦、大麦、米、綿花、亜麻、パピルス、さとうきび、ぶどう、ざくろ、ナツメ椰子、羊、山羊、豚、鳩を含む牧畜、そして養蜂などがある。工業生産としては、どう、鉛、方鉛鉱、鉄、紫水晶、エメラルド、緑柱石、碧石、孔雀石、トルコ石、天然炭酸ソーダ、みょうばんのほか多くの材を生産している。
 次にエジプトの気候は、北緯30度線がカイロを通過しているから、日本でいうと九州の屋久島あたりとほぼ同緯度である。ただし、エジプト南部のアスワン付近には北緯23度27分の北回帰線が通過しており、夏至の太陽はアスワン上空にやってくる。暑いことは確かだが、空気は乾燥しているので日陰は涼しい。カイロの年間気候は、最も気温が低いのは1月で平均13,8度、最も気温が高いのは7月および8月で平均27,9度である。次に年間降水量は全年21mmであるから、東京の全年1460mmと比較するといかに雨が少ないかがわかる。エジプトは典型的な砂漠気候に属し、一日の最低気温と最高気温の差が20度以上になることもある。
 エジプトの人種構成は複雑であり、人口の大半はハム語族(ヌビアのクシュ人や北アフリカのベルベル人など)系のいわゆるエジプト人であるが、7七世紀から12世紀にかけて移住してきたセム語族(アッシリア、バゼロニア人、フェニキア人、ヘブライユダヤ人、アラブ人など)系のアラブとの混血が多く、ナイル上流には黒人との混血が多い。そして、現在エジプトでは古代エジプト語は使用されておらず、アラビア語のエジプト方言が話されている。
次に、エジプトの歴史について簡単に説明しよう。まず、先王朝時代ではエジプトは上エジプト下エジプトの二つに分けて考えられていた。上エジプトの南限は、現在のアスワン付近と決まっているが、北限はナイルの東岸と西岸とで多少ずれていた。
 上エジプトの象徴はロータス(はすの花)であり、下エジプトの象徴はパピルスであった。そして上エジプト連合体の代表者は白い王冠を被り、下エジプトの代表者は赤い王冠を被ったとされている。このように上下エジプトが分離していると時代は国家に達していないと見てエジプト学者はこれを王朝時代と呼ばず両者を統一する王が現れてはじめてエジプト王朝時代が誕生するわけである。
 続いて、先王朝時代にはほとんど見られず王朝時代に入って顕著になる文化的特徴を挙げてみると、@エジプト固有の聖刻文字(ヒエログリフ)をもつ、Aパピルス紙を使用する、B正確な暦がつくられる、C巨大な石像や神殿が建てられる、D墳墓に独特の様式をもつ壁画(彩色浮彫りを含む)がほどこされる、などがある。
上エジプトと下エジプトを征服し最初の統一王朝を開いた人物は、ナルメル、ミン、メネスと3通りが知られている。
 まず、ナルメル王は中南部エジプトのチニス(アビドスの北方)の出身であるが、その南のヒエラコンポリスから出土したナルメル王のパレットで知られている。パレットといっても一種の化粧道具であるが、その両面の浮彫りはいわゆる王朝時代の約束に従った表現方法をとっており、とくに両面の上部にある正方形の囲みの中の記号は王名を表す絵文字であろうといわれている。
 ミン王の事蹟を簡単に述べると、ナイル川の河流をせき止めて干拓地とし、そこにメンフィスの町をつくり巨大な神殿を建立したことなどがある。
 次に、前3世紀頃のプトレマイオス朝の神官マネトーの「エジプト史」
によると、最初の統一者はメネス王となっている。
 以上述べたナルメル、ミン、メネスはすべて同一人物と考えられている。ただし、マネトーは第一王朝メネスの時代を5619〜5557年としており、通説より2600年ほど古い時期にもってきている。王朝の区分ではどのエジプト学者もマネトーに従いながらも、その時代に関してはずっと下げて考えるのが常識になっている。
以上のように初代の王に関しては資料が少なく今ひとつ実感が湧いてこないが、初期の王とは常に古い存在であり、神と人間のようなイメージでしか伝わってこない。